知識人の良心で民衆率いたハベル氏

2011/12/18付
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「動のワレサ」に対し「静のハベル」――。1989年の東欧民主化が生んだ2人の英雄は対照的なスタイルで民衆をひき付けた。理不尽な社会主義体制に対する大衆の怒りとたくましさを象徴したのがポーランドのワレサ連帯議長(当時)だとすれば、知識人の良心と理想主義を体現したのが反体制劇作家だったハベル氏だった。

在野の社会運動組織「市民フォーラム」のリーダーとして、トレードマークのセーターとジーンズ姿で国民の熱狂的な支持を集めた。国民の脳裏に焼き付いていたのは、68年の「プラハの春」でワルシャワ条約機構軍の軍事介入を招いて民主化運動がいったん挫折した後も、圧政に立ち向かうハベル氏の姿だった。

何度も獄中生活に追いやられても、言論で対抗した。「憲章77」の代表として表現、信教の自由と人権保護を訴える姿は、民衆に圧政の不合理に対抗する力を蓄積していった。自らの言葉で語る演説は格調高く、インド独立の父マハトマ・ガンジー氏や南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラ氏とも並び国際的な尊敬を集めた。

プラハの資産家の家庭に育ったが、共産主義政権発足で資産を没収され、夜学からプラハ工芸大に進んだ。社会主義社会の非人間性を鋭く風刺する劇作家としての作風は幼少時代に原点があったのだろう。

チェコのネチャス首相は「国を西側社会に導いたのはハベル氏の尽力のたまものだ」と偉大な功績を残した指導者の死を惜しんだ。旧東独出身のメルケル独首相は「ハベル氏の自由と民主主義への献身は、その人間性とともに忘れられることはない」と弔電を送った。

(ベルリン=菅野幹雄)

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