中国大気汚染、いつから深刻化(Q&A) - 日本経済新聞
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中国大気汚染、いつから深刻化(Q&A)

改革・開放で80年代から

中国では1月、北京を中心に日本の面積をはるかに超える範囲が重度の大気汚染に覆われた。体調を崩した子どもが病院に詰めかけ、工場停止など経済にも大きな影響を与えつつある。原因や今後の対策などを探った。

Q 汚染の原因は。

A 問題となっているのは直径2.5マイクロ(マイクロは100万分の1)メートル以下の微粒子状物質「PM2.5」だ。石炭や石油を燃やしたときに出る硫黄酸化物が原因で、中国に多く残る石炭火力発電所の排ガスが主因といわれる。自動車の排ガスの微粒子なども含まれる。直径が小さいため、肺の奥深くまで入り込みやすい。気管支炎を引き起こしたり、ぜんそくを悪化させたりする。

Q 汚染はどの程度か。

A 米国大使館は2008年春から北京市内にある大使館の建物の上でPM2.5の濃度を測定し始めた。北京市も1997年から空気汚染指数を測定してきたが基準は緩く、米国大使館と北京市の公表数値のギャップが問題となっていた。市民の批判を受け、北京市も12年1月からPM2.5の濃度測定値を公表し始めた。北京ではPM2.5の測定値が米国大使館が「危険」とする1立方メートルあたり250マイクログラムを上回った日が1月は15日を超えた。一時は500マイクログラムを超えて「計測不能」という日もあった。

Q なぜ北京で汚染がひどかったのか。

A 北京の西部に火力発電所が多くあるほか、自動車の保有台数の増加も著しい。この冬は連日気温が零下10度近くまで下がるほど寒く、暖房器具用の石炭の消費も増えた。三方を山に囲まれた北京の上空は大気が安定し、風が吹かなかったことが北京の大気汚染をひどくし、長引かせた。

Q 大気汚染はいつからひどくなったのか。

A トウ小平氏が78年に掲げた改革・開放路線を受けて経済開発が始まり、すでに80年代後半には環境破壊が問題となっていた。98年には北京の空気汚染指数が急速に悪化したとし、当時の朱鎔基首相が対策を急ぐよう指示した。ただその後も経済発展を優先し環境対策は後回しとなった。

国際的な印象を良くしようと、08年の北京五輪前には、首都鋼鉄集団の工場など北京市内にあった工場を市外に移転させ、市内の150超の工場も一時的に操業停止させた。北京五輪後は空気が良くなったと話題になったが、抜本対策に乏しく、大気汚染は再び深刻になっていった。

Q 対策は。

A 今回、北京市は公用車の使用を30%削減したほか、一部工場の操業を停止させるなどの臨時措置を講じた。北京を含むいくつかの都市では、大気中の汚染物質を地表に落とすため人工降雨も実施したようだ。いずれも場当たり的な対応にすぎない。結局2月1日未明に大風が吹くまで北京に青空は戻らなかった。

Q 日本にも中国から飛んできているのか。

A 今年1月、福岡市などの観測所で、通常の3倍の数値が出たという。ほかに西日本の各地で高い値が瞬間的に記録されている。上空の偏西風に乗って大陸から飛来した汚染物質が原因と考えられている。

Q 対応策はあるのか。

A 欧州は越境する大気汚染物質を規制する条約があるが、その他の地域にこうした枠組みはない。大陸から汚染物質が飛来しているとしても、環境規制を厳しくするかどうかは中国政府の判断次第。日本は観測を強化して注意を呼びかけるしかないのが現状だ。環境省は「そらまめ君」というサイトで各地の観測情報を公開している。(北京=島田学)

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