米スリーマイルの燃料回収、損傷少なくても難航
チェルノブイリは搬出できず「石棺」
格納容器に溶け落ちた燃料の回収や、破損した原子炉の解体は、米スリーマイル島(TMI)原発事故や旧ソ連のチェルノブイリ原発事故でも経験がない。実現には「世界の英知を結集することが大前提」(細野豪志原発事故担当相)となる。
1979年の米TMI2号機の事故は運転員の操作ミスなどが重なり、核燃料が圧力容器の底に溶け落ちた。原子炉建屋内に放射性物質が飛び散り、地下に汚染水がたまった。しかし、建屋は爆発せず、放射性物質の大量放出は起きなかった。この点が今回の福島第1原発事故とは異なる。
TMIでは6年半後に溶けた核燃料の回収を始め、11年後に完了した。燃料は専用の輸送容器に収められ、米アイダホ国立原子力研究所で保管されている。福島第1原発はTMIより格納容器や原子炉建屋の損傷が激しいため、燃料回収時期を20~25年後と設定した。
TMIは原子炉建屋の除染を終えたが、現在も1号機が運転中で、これが寿命をむかえるまでは解体せず、現状を維持している。
86年のチェルノブイリ原発事故の場合、残った燃料を搬出することはできず、原子炉は解体せずにコンクリートの「石棺」で覆った。