2019年8月25日(日)

野田氏、手堅く泥臭く 4年近い浪人生活など挫折も
松下政経塾出身議員の兄貴分

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2011/8/29付
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挫折はすぐに訪れた。96年、新進党に移った2度目の衆院選では105票差で落選。惜敗率99.9%。新進党は比例代表との重複立候補を原則として認めていなかった。4年近い浪人生活で、野田氏を救ったのは「50人の中小零細企業のおやじさんたち」からのカンパだった。新進党解党後、民主党に入り、2000年、国政に返り咲いた。

■仕えやすい上司

権力をめざしたのも早かった。02年、当選2回で代表選に名乗りを上げ鳩山由紀夫、菅直人両氏らに対抗。「2年で政権を取れなければ議員を辞める」と断言し、鳩山氏を「攻撃能力に欠ける」、菅氏を「包容力が足りない」と切り捨てた。

05年の代表選後に国会対策委員長として「偽メール事件」に直面、引責辞任した。08年の代表選では自ら意欲を示しながらもグループ内の意見集約を優先したことで賛否が割れ、推薦人20人を集められず撤退を余儀なくされた。ボトムアップ型の手法には「優柔不断」との評がつきまとう。

今回の代表選ではいち早く「ポスト菅」へ始動。政権構想を載せた月刊誌論文を、発表前に与野党幹部や経済界関係者に渡した。しかし、当初は若手議員などの支持が広がらず、前原氏から「勝てる体制なんですか」と詰め寄られ、支援を拒否された。党重鎮の渡部恒三氏が「当選圏から外れている」とこぼすなど、一時は泡沫(ほうまつ)候補扱いもされた。

勝利の原動力は松下政経塾出身者だった。野田氏は彼らの兄貴分。陣営には野田グループ以外の塾出身者も詰めかけた。樽床伸二元国会対策委員長(3期生)と玄葉光一郎政調会長(8期生)は側面支援に回った。

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