2018年12月13日(木)

国民福祉税構想が頓挫した理由 成田憲彦 内閣官房参与

消費税政局 インタビュー

2012/1/3 3:30
保存
共有
印刷
その他

――1994年2月、当時の細川護熙首相は消費税を税率7%の国民福祉税に衣替えする構想を表明し、直後に撤回しました。国民福祉税構想はどうして頓挫したのでしょうか。

成田憲彦・内閣官房参与

「私はスケジュールがタイトだったことが一番大きいと思っている。政治改革法の成立が当初の予定から1カ月遅れた。94年1月29日から94年度予算編成の話を始め、2月10日に予算案の決定と非常にドタバタだった。このため国民への説明が十分にできなかった」

「ただし細川さん自身は大胆な行政改革を並行して実施する決意を示さずに、単に税金を上げる形になったことが最大の理由という認識だ」

「細川さんと認識を共有している点は、与党内のコンセンサスを固めないまま政府が発表してしまったことだ。これは野田政権の教訓になるだろう」

――国民福祉税構想はどのような経緯で打ち出したのでしょうか。

「直接には景気対策の所得減税の財源としてだが、大蔵省は消費税引き上げによる財政再建を悲願にしていた。細川さんは最初、消費税のみ上がって内閣が潰れたら元も子もない、と言っていた。大蔵省は政権発足時から何回も隠密に細川さんに会い、消費税引き上げの必要性を説明した。細川さんはそれなら福祉目的税にしろ、と言ったが、大蔵省は抵抗した。そこで細川さんは妥協として、消費税は廃止して福祉のための税金にするということで国民福祉税になった」

――当時、新生党代表幹事だった小沢一郎民主党元代表の役回りは。

「小沢さんは大蔵省に頼られ、理解を示していた。大蔵省が消費税率を6%に上げると言ったのを、小沢さんが7%にさせたようだ。大蔵省は与党内のとりまとめを小沢さんに頼んだ。小沢さんは野坂浩賢(社会党国会対策委員長=当時)さんを主なパイプとして社会党対策をしたが、時間的な制約があり、十分に与党内をまとめきれなかった」

――消費増税を目指す野田政権と細川政権の違いをどうみますか。

「国民福祉税は国民やマスコミにとって不意打ちに映ってしまったが、今回は非常に長い時間、議論が積み重なっている。国民の理解も世論調査を含めて非常に進んでおり、細川政権と状況はかなり違う」

「一方で細川さんは消費税引き上げに乗り気ではなく、大蔵省が必死に頼んでいた。いまは野田佳彦首相と財務省は共同歩調をとっている。だが、首相は財務省のロボットではない。財政規律を回復しなければいけないという認識は首相自身のものだ」

――首相の国民への説明や行政改革の取り組みは十分でしょうか。

「首相自身がもう少し自分の言葉で説明する努力があっていいのではないか。タウンミーティングのような形で全国を回って説明をするのもいい」

「首相は臨時国会で、国家公務員の給与を引き下げる法案と国会議員の定数削減、郵政改革法案が進まなかったのを深刻に受け止めている」

――当時、消費増税を進めた小沢元代表は、今では反対の立場です。

「小沢さんは羽田内閣までとその後では政治的なポジションを変えている。小沢さんの著書『日本改造計画』では消費税を10%にして所得税を半分にすると。ところが新進党党首になった96年の総選挙では、消費税を3%に据え置き、18兆円の減税を打ち出した。羽田内閣までの小沢さんは政権にいることを前提とした治者だったが、それ以降は政権を獲得するという大きな仕事を抱え込んだ政治家になった。それが根源にある」

「一般的に消費税は選挙に非常にマイナスに作用してきたことを、小沢さんはかなり意識している。民主党内における自分の立ち位置を考えたとき、党の中枢との違いを出さなければならない事情もあるだろう」

――今回、首相にとって消費増税関連法案が否決されれば衆院解散も選択肢になりますか。

「否決されれば国会を閉じてまた次の国会に出すこともある。政治はその時々の具体的な状況の判断だ。いまからこうだと決めつけるわけにはいかない」

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]

日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報