2019年2月16日(土)

尾辻秀久参院議員による追悼演説

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2013/5/26付
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尾辻秀久参院議員は2008年1月23日の参院本会議での演説で故山本孝史参院議員を「あなたは参議院の誇りであります」「社会保障の良心でした」と惜しんだ。追悼演説の全文は以下の通り。

本院議員山本孝史先生は、平成19年(2007年)12月22日、胸腺がんのため逝去されました。享年58歳でありました。誠に痛惜哀悼の念に堪えません。

山本孝史先生は、平成18年1月、国立がんセンター中央病院において、現在の医療では治ることのないステージ4の進行がんであるとの確定診断を受けられました。奥様には、何も治療しなければ余命は半年と告げられました。

胸腺がんは非常に珍しいがんで、もともと外科手術による切除が難しい上、他の臓器への転移も見られたことから、抗がん剤による化学療法が選択されました。

爾来(じらい)、山本孝史先生は、末期のがん患者として、常に死を意識しながら国会議員の仕事に全身全霊を傾け、2年の月日を懸命に生きられたのであります。

私は、ここに、山本孝史先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉をささげます。

山本孝史先生は、昭和24年(1949年)7月7日、兵庫県芦屋市にお生まれになり、その後、大阪市南船場に転居されました。

先生が5歳のとき、兄上が自宅前でトラックにひかれて亡くなられております。山本先生は後に、母が亡きがらとなった兄の足をさすっていた姿を今も鮮明に覚えていると書き残されています。

山本先生はその後、立命館大学在学中に身体障害者の介助ボランティアを体験され、これをきっかけに大阪ボランティア協会で交通遺児育英募金と出会うことになります。交通遺児の作文集を読まれたとき、夭折(ようせつ)した兄の無念さや両親の悲しみが一気に胸にあふれたと述べておられます。

大阪交通遺児を励ます会を結成された先生は、活動を展開するため、全国協議会の事務局長に就任されました。交通遺児と母親の全国大会を成功させ、参加者とともに銀座をデモ行進されたと聞きました。

先生の政治の世界における御活躍の基礎は市民活動にありました。

山本先生は、大学卒業後、財団法人交通遺児育英会に就職され、その後、米国ミシガン州立大学に留学、家族社会学を専攻して、高齢者福祉や社会貢献活動、死の教育の在り方について学ばれました。大学院修士課程を修了された後、育英会に復職され、平成2年に事務局長に就任されました。

災害や病気、自殺などで親を失った子供にも奨学金を支給したいと願っておられましたが、監督官庁の反対に遭い、縦割り行政を痛感されていた平成5年、先生に転機が訪れます。

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