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男一人旅 南国の離島、竹富島で身も心も「裸族」

 仕事漬けの毎日から自分を解放すべく、離島に行って一人、裸で過ごす――。そんな「大志」を抱き、乗ったのは羽田11時30分発、石垣空港行きのANA便。目指すは竹富島。石垣島から船で10分の離島だ。以前は石垣島へ行くには那覇経由だったが、2013年3月7日の新石垣空港開港に伴って、羽田からの直行便が通じた。アクセスが便利になったのはうれしい限り。しかし、1泊では足りない。そこで意を決して金曜日は会社を休み、土日と合わせて3日間の休日を獲得したわけである。存分に楽しんでやろうではないか。
全力で仕事に取り組む日々。時には「週休3日」で心身をリフレッシュしてはどうだろう

南国の風で日常の「あか」を洗い落とす

石垣空港に到着したのは15時すぎ。開業1年足らずとあって、さすがにきれいな空港だ。けれど空港見学は帰りにし、早速タクシーに乗って石垣港へ向かう。道路に車は少なく、やけに飛ばすタクシーの車窓の外を、牧歌的な農村風景が流れていく。20分ほど走り、人や車が増え、ビルが立ち並ぶ市街地に入ったところで港に到着。「石垣港離島ターミナル」という看板に胸が踊る。

竹富島までの船旅は10分だが、船が立てる引き波、そして風には、仕事漬けの毎日でたまった心のあかを洗い落とすような爽快感がある。船着き場に迎えにきていた車で、まずはホテルへ。今回の宿は、島の南東にあるリゾートホテル「星のや 竹富島」。民宿も考えたのだが、決め手になったのは、全客室が離れになっていること。この旅の目的は観光ではなく、「裸になる」ことである。それを気兼ねなく実現するには、もってこいの宿と見たのだ。

チェックインしても、まだ午後の4時。島をざっと見て回るなら自転車がいいと教えられ、レンタサイクルでの島一周ツーリングへと繰り出した。しばらく走っても車には出会わず、信号機すら目にしない。こんもり茂った緑から感じるのは、"草いきれ"。むっとするような熱気に、子供の頃の夏休みを思い出す。

ひたすら平坦なサンゴ道を走る。聞こえるのは風と鳥の声だけ

途中、草むらを通りかかった際、群れをなして逃げていったのは野生のヤギだろうか。驚かせてしまったかな。それにしても、ずいぶん蝶(ちょう)の多い島だ。先ほどから、いろいろな種類の蝶が、自転車のまわりをひらひら舞っている。時に相伴し、時に先導するかのような蝶と戯れつつ、のんびりペダルをこぐ。

竹富島は蝶の楽園。オオゴマダラはポピュラーな蝶の一種

訪れたのは、島を代表する美しい浜のコンドイビーチ。白い砂浜の向こうに透明度の高いエメラルド色の海が広がり、まさに絵はがきの風景だ。かなり遠浅らしく、はるか沖合を人が歩いている。引き潮なので、ところどころで白い砂浜が海面に顔を出している。あのような場所で過ごしたら、つかの間、無人島を独占したような気になれるだろうか。

シュノーケリングも可能なコンドイビーチは島で唯一の海水浴場

東京を出てわずか数時間で、ビーチで足を投げ出している自分がいる。いつもの金曜なら、会議室で喧々囂々(けんけんごうごう)としているはずだ。わずかな勇気を出して休暇を取ることで、こんな至福な時間が過ごせるのだと、この年齢になって初めて知った。

「神の島」で非日常を感じる

コンドイビーチを出て、島の中心部の集落へ。何ときれいな集落なんだろう。サンゴの砂(かけら)を一面に敷き詰めた路地には、ごみ1つ落ちていない。道の両側に続くのは、背の低い石垣。その上からブーゲンビリアやハイビスカスが顔をのぞかせ、さらに奥には赤瓦屋根の民家がたたずむ。どの屋根の上からも、シーサーがユニークな顔を向けている。自分は今、どこにいるんだ……。

「なごみの塔」から見渡した集落。竹富島は3つの集落からなる

サンゴの砂に車輪が取られるため、坂道になると自転車では走りにくく、降りて押しながら歩く。シャリシャリという感触が、足の裏に心地よい。

しばらく歩いていると道の向こうから、妙な「対向車」がやってきた。水牛が、5~6人の観光客を乗せた牛車を引っ張りながら、のそりのそりと歩いてくるのだ。引き手は手綱も取らず、牛車の上でのんきに三線(さんしん)を弾いている。にもかかわらず、牛車が勝手に、それもスムーズに曲がり角を曲がっていくではないか。これは面白そう。実は自分も、明日は水牛車体験にチャレンジするつもりなのだ。期待が高まる。

やがて、鳥居が見えてきた。この島には鳥居が多い。といって、通常の神社で見るような社殿などはなく、瓦屋根の簡素な小屋が建つのみ。案内板によれば、神々を祭る「御嶽(おん)」と呼ばれるものらしい。島全体で28の御嶽があるという。「聖なる場所なので簡単には立ち寄らないで下さい」とあるので、鳥居の前で手を合わせるだけにする。それにしても、周囲約9kmのこんな小さな島で28の御嶽とは。竹富島は「神の島」なのだろうか。

集落のあちこちにたたずむ御嶽の周辺には神聖な空気が漂う

御嶽近くの竹富島民芸館をのぞくと、中で女性が織物をしている。綿糸を藍で染めて織った細帯で、竹富島発祥の「八重山ミンサー」と呼ばれるものだった。かつて通い婚の風習があった時代に、女性から男性に贈ったものだという。ムカデの足のような模様には、「足しげくお通いください」という思いが込められ、藍を何度も重ねて染めることが「愛を重ねて……」に通じたのだとか。こうした離島の伝承は、聞いていてほおが緩んでくる。

集落の店先で見つけた花のつぼ。店の主人が毎朝、道にはらりと落ちた花を水面に"生ける"のだという

島の食堂の名物は天然もずくと、元気なおばぁ

散策中に喉がかわき、「たるりや」と名のついた島の食堂に入る。食堂といっても、家屋が調理場で、庭にパラソル付きのテーブルが並んだオープンエアの店。ガジュマルの巨木の下は、特等席だ。まずは渇いたのどを潤そうと、キンキンに冷えた一杯をぐいとあおり、喉に流し込む。うーん、極楽。

そして、ふと目に留まって注文したのは「天然もずく」。箸で持ち上げると、ずっしりと重い。おまけに、ずいぶんぬめりが強く、コシのある太いもずくだ。ほんのりとにんにくの味付けがされ、とにかくうまい。こんなもずくがあるのか。店主に聞くと、「今朝自分で取ってきたんだ」と笑う。

一度食べたら、絶対に忘れられなくなる味。自然の恵みに感謝

竹富島では、島周辺の至るところで、もずくが取れるらしい。ベストシーズンは3月、大潮の干潮の時間帯。もずく取りを目的に島に訪れる観光客も多く、島の郵便局には「もずくの発送方法」も掲示してあるそうだ。店主から「3月に来れば、連れてってあげるよ」という頼もしい言葉をもらう。よし、来てやろう。

この店は、家族3人で切り盛りしているらしい。店主のお母さんは齢(よわい)91という、何とも元気な「おばぁ」だ。歓談中、島のルールをいくつか教えてくれた。屋根は赤瓦にすること、石垣を作ること、看板は禁止など。また、島の1日は、白砂の路地の掃除から始まるという。へえ、どうりできれいなはずだ。

景観を崩す看板も、サンゴの道を汚すゴミも、この島には見当たらない

先ほど見た御嶽について尋ねる。竹富島には神と交流する「神司(かんつかさ)」と呼ばれる女性が5人おり、住人はすべて、いずれかの神司の氏子なのだという。神事も、年に20回以上もあるらしい。御嶽は、その際に神司が籠もる場所だったのだ。やはり、神の島なのである。

おばぁは腰を上げながら「観光客も帰ったし、これからの時間は静かですよ」と言う。竹富島には年間40万人ほどが訪れるが、多くが石垣島からの日帰り客。午後6時に竹富島発の最終フェリーが出てしまうと、島内はほとんど人通りがなくなるそうだ。確かに桟橋でも、自分と入れ違いに船に乗り込む人が多かったっけ。店の前の観光客の往来も、ぱったり絶えている。どれ、その静けさを堪能しつつ、夕日でも見に行ってこよう。

「ないないづくし」で、まずは心から裸に

夕日スポットとして教えられた「西桟橋」へ向かう。なるほど、日中とは変わって、すれ違う観光客もいない。砂を踏む自分の足音がやけに大きく響くほど、静寂に囲まれている。その静けさを破り、鳥の「ホーホー」という鳴き声が聞こえる。桟橋にも、宿泊客らしき影がポツポツとあるだけ。これが本来の竹富島の姿なのだ。自分ももし日帰り客だったら、この静けさを知ることはなかっただろう。

そういえば先ほどのおばぁから、このへんでホタルが見られると聞いたっけ。時には、巨大なヤシガニが通りを横切る姿にも遭遇するとも言っていた。ハブと出会うのはごめんこうむりたいが、ホタルやヤシガニなら大歓迎。と、期待したが、残念、どちらも姿を見せてはくれなかった。そう都合よくはいかないものである。

夕日を見届けたので、そろそろ宿に戻ろう。集落を横切りがてら、集落中心部にある展望台、「なごみの塔」にのぼる。竹富島は最高所が標高21mという平たんな島で、この塔からは360度のパノラマが楽しめる。おばぁに聞いた話では、竹富島は、集落全体が重要伝統的建造物群保存地区。夕暮れ過ぎの空の下、確かに統一感にあふれた民家が広がっている。先ほど聞いた、島のルールが守ってきた景観なのだろう。

赤瓦の民家の下では、どのような生活が営まれているのだろうか。スーパーマーケットもなければ、コンビニエンスストアやファストフード店もない。信号も1つもなく、ガソリンスタンドの営業は1日に30分間のみ。玄関がないために家屋へは居間から出入りし、鍵さえもない。さらに何と、交番もなければ、警官もいないのだという。

ホテルの部屋に戻ると、自宅に帰ってきたような気分になっていた

自分の日常にはあって当然のものが、ここにはないのである。その代わり家を出れば、前の路地を歩くのは水牛……。これが同じ日本なのだろうか。今までの自分がまとっていた「何か」が、一枚一枚はがされていくような気がする。

自分はこの島に、裸になってくつろぐために訪れた。それは文字通り「服を脱いで」という意味だったのだが。島に着いてわずか2時間たらずで、体が裸になる前に、心が裸にされてしまったことに気が付いた。あと2日、どんな楽しみが待っているのだろう。この胸の高まり、久しぶりだ。

(ライター 笹沢隆徳、写真 土屋明)

[JAGZY 2013年6月12日付の記事を基に再構成]

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