2019年8月26日(月)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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商工省入り、満州の経済開発推進 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(1)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(4/4ページ)
2012/8/5 7:00
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■後藤新平流、大規模な産業調査

椎名が満州国でまず手掛けたのは大規模な産業調査であった。満州国には行政の基礎となるデータがほぼ皆無の状態だった。満鉄調査部の資料は満鉄沿線のものに限られ、北満や辺境部のデータは存在しなかった。経済開発を手掛ける前にまず本格的な調査を実施する手法は叔父の後藤新平が台湾総督府民政長官、初代満鉄総裁時代に実行した手法から学んだものである。

実業部の文書科長兼統制科長となった椎名は実業部の外局として臨時産業調査局の設置をめざして粘り強く財政当局と折衝してこれを認めさせた。調査スタッフは満鉄調査部に協力を求め、さらに日本国内からも公募した。応募した人には直ちに合格採用を出し、統制科嘱託の辞令を渡した。調査局のスタッフは400人規模に膨れあがった。こうした既成事実作りを先行させて椎名は調査局を立ち上げ、自ら調査局調査部長を兼務した。

1898年(明治31年)1月
岩手県水沢町に生まれる
1912年(明治45年)
水沢高等小学校卒業、上京
1917年(大正6年)
仙台の二高に入学
1920年(大正9年)
東大法学部入学、後藤新平の実姉・椎名初勢の養子となる
1923年(大正12年)
農商務省に入省
1925年(大正14年)
愛知県商工課長
1929年(昭和4年)
商工省工務局工務課事務官
1932年(昭和7年)
欧米各国に視察出張
1933年(昭和8年)
満州国実業部総務司計画科長に
1936年(昭和11年)
満州国臨時産業調査局調査部長を兼務
1937年(昭和12年)
満州国産業部鉱工司長

臨時産業調査局の調査は農業、林業、地下資源、水力電源など広範囲にわたり、匪賊(ひぞく)が横行する辺境地にも踏み込んで調査が行われた。目標の3年余りの間にほぼ主要なデータが集まった。北満の農業実態調査は後に日本国内からの満州開拓農民受け入れの基礎となり、水力電源調査によって第2松花江、鴨緑江に大規模水力発電所が建設されることになった。

調査活動が軌道に乗ると椎名は満州国の経済開発の枠組みとなる重要産業統制法の制定作業に取り組んだ。日本国内の同名の法律は不況対策として主要産業のカルテル結成を促進して産業の合理化をはかることをめざしていたが、満州国の統制法は重要産業は一業種一社の国策特殊会社を中心とした徹底した統制経済をめざす根拠法であった。

椎名は満州国の産業開発5カ年計画の策定にも深くかかわった。この計画は昭和12年を初年度とし、昭和16年までの満州における主要な鉱工業品目と農畜産品目の生産目標、運輸通信部門の整備目標を定め、その必要な投資額を算定した計画である。5年間の総投資額は25億円に達した。この計画で主導的役割を果たしたのは関東軍参謀の秋永月三中佐と星野直樹財務部総務司長(大蔵省出身)だったが、鉱工業と農畜産業は実業部の所管であり、計画の基礎データは椎名が主導した臨時産業調査局の調査結果がベースになっていた。

こうした仕事が軌道に乗りかけた1936年(昭和11年)春、商工省の満州派遣組のキャップだった高橋康順が退官して満州財界に入ることになり、代わって関東軍の強い要請を受けてやり手の岸信介が実業部次長(次官に相当)に赴任してきた。椎名は昭和12年7月、実業部鉱工司長になった。このポストは日本の商工省の工務局長と鉱山局長に相当した。満州の経済統制と産業開発は岸・椎名のコンビで推進に拍車がかかった。

昭和12年7月、盧溝橋事件を発端として日中戦争に突入した。日中戦争の拡大に対応して産業開発5カ年計画は上方修正されて総投資額も一段と膨れあがった。また一業種一社の原則も修正され、満州の重工業を集中的に発展させるため、巨大国策会社の満州重工業会社が設立され、その総裁に岸信介は日産グループの総帥・鮎川義介を引っ張り出した。

椎名は5カ年計画の修正や満州重工業の設立などで多忙を極めたが、昭和14年になると満州勤務は6年目に入っていた。椎名は岸に帰国・本省復帰を願い出た。これを聞きつけた鮎川義介は満州重工業の重役となるよう椎名に熱心に働きかけた。鮎川の執拗な誘いを振り切って椎名が帰国したのは昭和14年4月である。

満州時代を振り返って椎名は次のように述べている。「どうしても書きとめておきたいことは、満州の地で、理想に燃えて骨身を惜しまず働いた多くの人々のことである。大学を出て満州の奥地に入り役人になったり特殊会社にはいったりして開拓事業に専心した若者も多かった。働き口の少ない内地とはいさぎよくおさらばして、満蒙の天地に新しい生きがいを見つけようとした貧農の二、三男もいた。みなそれぞれにまじめで、意欲に燃え、満人とも仲よく交わり、それは涙ぐましい努力を重ねたものだ。私は今でも、一緒に働いた同僚たちや、さまざまな形でつき合った人たちのことを思うと胸があつくなる」。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 「記録椎名悦三郎(上下巻)」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 椎名悦三郎著「私の履歴書」(私の履歴書第41集収載=70年日本経済新聞社)
 「現代史を創る人びと4(椎名悦三郎インタビュー収載)」(72年毎日新聞社)
 「椎名悦三郎写真集」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)

※写真はいずれも「椎名悦三郎写真集」から

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