政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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商工省入り、満州の経済開発推進 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(1)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(2/4ページ)
2012/8/5 7:00
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悦三郎は東京の私立錦城中学3年の編入試験に合格し、志賀家の書生をしながら錦城中学を卒業した。悦三郎の9歳年長の長兄・後藤幹夫は一関中学を卒業後、東京・麻布の後藤新平邸に寄宿して慶応大学を卒業し、神戸の鈴木商店に就職していた。悦三郎が進学でこれほど苦労したのは、すでに長兄が後藤新平の世話になっており、悦三郎も世話になるのは父親としても頼みづらく、また悦三郎は長兄とは違って後藤家の婿養子の後妻の子だったので、父も悦三郎も遠慮があったとみられる。

仙台の二高時代の椎名悦三郎(右)

仙台の二高時代の椎名悦三郎(右)

錦城中学を卒業した悦三郎は郷里の水沢に戻り、仙台の第二高等学校の受験準備に入った。この頃になると父親が水利権を獲得していた胆沢川の水力発電事業が軌道に乗り、悦三郎の実家も経済的な余裕が出てきた。父親は後に水沢町長、岩手県議になっている。悦三郎は1917年(大正6年)7月、二高の試験に合格し、仙台の下宿で高校生活を送った。二高時代はとにかく本を乱読したと述懐している。二高を卒業した悦三郎は東京帝国大学法学部独法科に進学した。

このとき、悦三郎は後藤新平の実姉で椎名家に嫁ぎ、寡婦になって東京の新平邸にいた椎名初勢の養子になった。名前も後藤悦三郎から椎名悦三郎となり、戸籍の上でも後藤新平と叔父・甥の関係になった。椎名は東大の正門近くに下宿したが、この下宿が友人・仲間の溜まり場になって酒を飲んでは談論風発のような毎日であった。大学2年になって閑静な東中野の下宿に移り、心機一転、高文試験をめざして猛勉強を始めた。

大学時代は後藤新平邸にも頻繁に顔を出した。後藤新平の夫人はすでに亡くなっており、後藤邸内を取り仕切っていたのは養母の初勢だった。まず養母にあいさつし、新平叔父のご機嫌伺いをした後、新平の実弟で後藤邸の執事のようなことをしていた彦七叔父とじっくり酒を酌み交わすことが多かった。椎名は若いころから大酒飲みだったが、酒の飲み方はこの彦七から教えてもらったと述べている。

椎名は東大在学中に高文試験に合格して1923年(大正12年)に農商務省に入省した。農商務省を志望したのは、少年時代に家計が苦しかった経験から「何人も貧困から脱却しなければならぬ。物の行政はそのためにあるんだ。自分はその方面で働いてみたい」と考えたこと、二高の先輩で先に農商務省に入っていた小島新一(後に商工次官、八幡製鉄社長)の影響を受けたことが大きかった。同期入省は8人で、重政誠之(後に農林次官、農相)らがいた。

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