2019年2月16日(土)

政客列伝 金丸信(1914~1996)

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金丸-小沢ラインで政局主導 「政界のドン」金丸信(6)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(3/3ページ)
2011/9/4 12:00
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■金日成と会談、「戦後の償い」で波紋

海部内閣で小沢が金丸の強い推薦で幹事長に就任した。47歳の異例の若さだった。竹下は「まだ若い」と反対したとされる。海部政権を牛耳ったのは金丸―小沢ラインである。「土井ブーム」が吹き荒れ、参議院は与野党逆転状態だったが、小沢は金丸の支援を受けて公明、民社両党と連携する自公民路線を推進した。そして1990年(平成2年)1月、衆議院解散に打って出て「土井ブーム」に沸く社会党を抑えきって自民党は過半数を大幅に上回る勝利を収めた。これによって自民党はリクルート事件以来の危機を脱して、政権維持に成功した。

金日成(中央)と会談する金丸信(左)。右は田辺社会党委員長=毎日新聞社提供

金日成(中央)と会談する金丸信(左)。右は田辺社会党委員長=毎日新聞社提供

このころから金丸は「政界のドン」「政界の最高実力者」と呼ばれるようになった。小沢が東京都知事選の失敗で幹事長を辞任すると後任には竹下派の小渕が就任した。小沢は心臓病で緊急入院したが、病が癒えると金丸は小沢を竹下派の会長代行に抜てきした。

金丸は平成2年9月、自民党代表団を率いて田辺誠社会党委員長とともに北朝鮮を訪問し、金日成主席と会談した。保養地・妙香山で金日成と2人だけで飲み明かし、意気投合した。金丸訪朝は抑留中の第18富士山丸の紅粉勇船長の釈放などの成果を上げたが、自民党、社会党、朝鮮労働党の3党共同声明に国交交渉開始とともに「戦後45年の償い」が明記され、内外に大きな波紋を呼んだ。国内では右翼勢力が「土下座外交」と金丸を激しく攻撃した。平成4年3月には栃木県足利市の演説会場で金丸を狙った銃撃事件が起きた。

韓国政府、米国政府も金丸訪朝に強い危惧の念を示した。金丸は釈明に追われた。平成2年暮れ、日韓議連会長の竹下登のお膳立てで金丸は韓国を訪問し、盧泰愚大統領と会談して「韓国政府の立場を損なうものではない」などと釈明した。平成3年4月には訪米してブッシュ大統領と会い、日米同盟優先の姿勢に変わりがないことを確認した。訪朝で金丸は苦境に立たされたが、盧泰愚、ブッシュ両大統領との相次ぐ会談は金丸が「日本の最高実力者」であることを内外に印象づける結果にもなった。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 金丸信著「私の履歴書 立ち技寝技」(88年日本経済新聞社)
 「人間金丸信の生涯」刊行記念会編著「人間金丸信の生涯」(09年山梨新報社制作)
 竹下登著「証言 保守政権」(91年読売新聞社)

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