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鳩山氏ついに追放解除に

サンフランシスコヘ(34)

日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

夏枯れという言葉が新聞界にはあるが、1951年8月の東京はニュースが多かった。9月に予定された対日講和のせいなのはいうまでもない。講和は外交問題であるだけでなく、占領時代に別れを告げ、独立を意味した。それは日本の国家統治の転換だったからである。

外交の観点からは外国要人の東京訪問があった。内政で意味が大きかったのは、何と言っても、戦争責任を問われて公職追放にあった人々の復帰である。

沖縄司令官、豪州外相ら相次いで東京入り

8月5日午前8時10分、パンアメリカン機で日本に到着したのは、豪州のR・G・ケーシー外相である。

豪州の対日警戒感はすでに述べた通りだから、講和を前にリッジウェー最高司令官や吉田茂首相と会談し、懸念をはらして本国に報告するのが目的だった。極東を回った後、香港から東京に入った。

1951年4月11日トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

同時に英連邦軍の形で日本に駐留していた豪州軍を激励する狙いもあった。英連邦軍は当時エビスキャンプと呼ばれた場所に駐留していた。山手線恵比寿駅西口に近い、現在、防衛研究所や陸海空自衛隊の幹部学校があるあたりである。

この場所は明治時代には目黒火薬製造所があり、ここで作られた有煙火薬は日清、日露戦争で使われた。周辺に住宅が増えたために、1928年(昭和3年)に移転し、跡地に海軍省技術研究所などができた。当時の建物はいまも一部残っており、防衛省施設として使われている。

閑話休題。豪州外相より1日早い4日に東京入りしたのが琉球軍司令官のロバート・S・バイトラー少将である。米国から帰任の途中に東京にやってきた。沖縄の位置付けは、対日講和条約そして安保条約でも焦点のひとつであり、軍の立場から東京にいる軍首脳との意見交換が目的だった。

一方、朝鮮での休戦交渉代表のジョイ中将も6日午後5時20分に羽田空港に着き、5時40分に総司令部に入ってリッジウェーらと会談した。

そんななかにロンドンから面白いニュースが入ってきた。戦争当時の英国の閣僚だったハンキイ卿がロンドンタイムズに意見を寄せ、対日講和条約草案にある戦犯規定は和解の精神に反する、と述べた。

公職追放は戦犯とは異なるが、これもまた和解のメッセージだった。日本政府は6日午後、13904人の追放解除の通知があったと発表した。特高、思想検察346人は保留されたままだったが、追放解除で最大の話題は鳩山一郎だった。

旧体制の復活か

吉田と激しく敵対することになる鳩山は、日米、日ロなど日本の戦後外交にも大きな影響を与える。吉田、鳩山の争いは、21世紀になり、2009年、ふたりの孫である麻生太郎首相の政権を鳩山由紀夫民主党代表が選挙で倒したことは、その後の民主党政権の混乱と合わせて記憶に新しい。

この時発表されたのは第2次追放解除だが、主な名前を次に掲げておく。これらの名前をみると、部分的にせよ、日本のアンシャンレジーム(旧体制)の復活を思わせる。

対日講和条約、日米安保条約以降の日本には、その要素があった。背景にあるのは、いうまでもなく冷戦だった。

 政界=鳩山一郎、大麻唯男、前田米蔵、松野鶴平、河野一郎、河上丈太郎、河野密、松本治一郎、内田信也、久原房之助
 経済界=藤原銀次郎、村田省蔵、小倉正恒、津島寿一、渋沢敬三、明石照男、小林一三、浅野良三、郷古潔、五島慶太、大倉喜七郎
 官界=広瀬久忠、石黒忠篤、河原田稼吉、芳沢謙吉、河田烈、長崎惣之助
 言論界=緒方竹虎、古野伊之助、正力松太郎、田中都吉、村山長挙、安岡正篤、下村宏

簡単に説明しておこう。

河野氏(後に農相)
松野氏(後に参院議長)

政界では後に首相になる鳩山のほか、吉田の側近で参院議長になる松野鶴平がいる。鳩山もそうだが、松野の場合も、子、孫とも政治家になった。子は自民党政権時代に労相や防衛庁長官などを歴任した松野頼三であり、その子、つまり鶴平の孫にあたるのが現在民主党の衆院議員である松野頼久である。

河野一郎は首相にはなれなかったが、戦後政治史に名を残す個性的な政治家だった。長男は野党としての自民党総裁、外相、衆院議長を歴任した河野洋平、その長男は現在、自民党衆院議員の河野太郎である。

河上丈太郎は社会党委員長、河野密は副委員長にそれぞれなった。大物たちが続々復帰したのだった。

戦前の新聞経営者も追放解除

経済界も阪急の小林、東急の五島など昭和経済史に名前の残る人たちだ。官界には芳沢謙吉、天羽英二ら高名な外交官が含まれている。言論界では朝日(緒方竹虎、村山長挙、下村宏)読売(正力松太郎)、日経(田中都吉)、同盟通信(古野伊之助)、などの新聞経営者だった人たちの名前がある。

緒方は朝日新聞副社長・主筆の後、情報局総裁になる。追放解除後は吉田内閣の副総理になり、吉田に退陣の引導を渡す役割を演じる。下村はもともとは官僚だが、朝日新聞副社長、日本放送協会会長、情報局総裁を歴任した。

正力はいわずと知れた読売新聞社長である。田中はもともとは外交官で駐ソ連大使などを務めた後、日経の前身である中外商業社長を務めた。

さて鳩山の政界復帰の弁である。それは鳩山ナショナリズムともいうべき、この人らしい中身だった。

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