2019年8月19日(月)

日米外交60年の瞬間 第3部

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鳩山氏ついに追放解除に サンフランシスコヘ(34)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

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2012/4/7 7:00
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夏枯れという言葉が新聞界にはあるが、1951年8月の東京はニュースが多かった。9月に予定された対日講和のせいなのはいうまでもない。講和は外交問題であるだけでなく、占領時代に別れを告げ、独立を意味した。それは日本の国家統治の転換だったからである。

外交の観点からは外国要人の東京訪問があった。内政で意味が大きかったのは、何と言っても、戦争責任を問われて公職追放にあった人々の復帰である。

■沖縄司令官、豪州外相ら相次いで東京入り

8月5日午前8時10分、パンアメリカン機で日本に到着したのは、豪州のR・G・ケーシー外相である。

豪州の対日警戒感はすでに述べた通りだから、講和を前にリッジウェー最高司令官や吉田茂首相と会談し、懸念をはらして本国に報告するのが目的だった。極東を回った後、香港から東京に入った。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

同時に英連邦軍の形で日本に駐留していた豪州軍を激励する狙いもあった。英連邦軍は当時エビスキャンプと呼ばれた場所に駐留していた。山手線恵比寿駅西口に近い、現在、防衛研究所や陸海空自衛隊の幹部学校があるあたりである。

この場所は明治時代には目黒火薬製造所があり、ここで作られた有煙火薬は日清、日露戦争で使われた。周辺に住宅が増えたために、1928年(昭和3年)に移転し、跡地に海軍省技術研究所などができた。当時の建物はいまも一部残っており、防衛省施設として使われている。

閑話休題。豪州外相より1日早い4日に東京入りしたのが琉球軍司令官のロバート・S・バイトラー少将である。米国から帰任の途中に東京にやってきた。沖縄の位置付けは、対日講和条約そして安保条約でも焦点のひとつであり、軍の立場から東京にいる軍首脳との意見交換が目的だった。

一方、朝鮮での休戦交渉代表のジョイ中将も6日午後5時20分に羽田空港に着き、5時40分に総司令部に入ってリッジウェーらと会談した。

そんななかにロンドンから面白いニュースが入ってきた。戦争当時の英国の閣僚だったハンキイ卿がロンドンタイムズに意見を寄せ、対日講和条約草案にある戦犯規定は和解の精神に反する、と述べた。

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