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高い声で「欣然受諾」と吉田

帰ってきた日本(14)

日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

きょうは2012年12月8日である。71年前の1941年のこの朝、日本は真珠湾攻撃によって米英を中心とする連合国との戦争に入った。偶然だが、この物語できょう扱うのは、日本の敗戦に終わった戦争の講和をめぐる決定的な場面である。1951年9月7日、場所はサンフランシスコである。

巻紙を日本語で読み上げる

各国が激しい議論をしたサンフランシスコ講和会議が7日クライマックスを迎えた。主役である日本首席全権、吉田茂首相の登壇である。会議4日目の9月7日午後8時17分(日本時間8日午後0時17分)、アチソンの指名を受けた吉田は、巻紙を手に演壇に上がった。

講和会議で演説する吉田茂・首席全権=朝日新聞社提供

最初の段落で結論を述べた。

「ここに提示された平和条約は、懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することもなく、日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由且(か)つ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。この平和条約は、復讐の条約ではなく、『和解』と『信頼』の文書であります。日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然(きんぜん)受諾致します」

日本語、英語のそれぞれの全文を別掲しておくが、吉田は予想を裏切って、この歴史的演説を日本語で行った。

「日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾致します」と語った吉田のやや高い声は当時の日本国民の耳に焼き付いた。耳ではなく目に焼き付いたのはニュース映画で見た巻紙を読む吉田の姿である。

なぜ吉田は日本語で演説したのか。しかもそれが決まったのは7日朝だった。

外務省が用意していた草稿が英語で書かれていたのをみた吉田の側近、白洲次郎が激怒し、日本語に変えさせたとの説がある。それと矛盾するわけではないが、西村熊雄外務省条約局長は次のように回想している。

「(吉田)総理は英語でやられるつもりであられた。5日の夜、他用で訪れていった(西村)条約局長にシーボルト大使は『総理は日本語でやられる方がいいんじゃないか、日本のディグニティ(威厳)のために』との話があり、同僚――松井秘書官など――に話すとみな同感だった。なかなか申し上げにくいところだが、めいめい思いきって申し上げた。『講和会議だから日本全権は日本語でやって国威をたもつのがいいと思う』と申しあげた。白洲(次郎)顧問も賛成で、その趣旨を手紙に書いて総理の部屋のドアの下から入れておかれた――総理はホテルではなく市内のスコット邸に起居しておられた――という話を聞いている。真偽は白洲さんに伺わなくちゃ解らん。総理は結局『日本語でやろう』といってくださった」(西村著「サンフランシスコ平和条約 日米安保条約・中公文庫。まるかっこ内は伊奈による」。

1951年
  12月24日
吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
   1月18日
韓国、李承晩ラインを設定
   2月15日第1次日韓正式会談始まる
   2月28日日米行政協定に署名
   4月28日対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
   1月20日
アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
   10月2日池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
  12月24日奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)

西村によれば、日本語での演説を最初に提案したのは米側のシーボルトであり、吉田自身は英語での演説を最初は考えていた。西村がシーボルト提案をメモに書いて吉田の判断を求めた。吉田、白洲のやりとりを西村は承知しないが、白洲は白洲でシーボルト提案を吉田に直接話し、吉田は日本語での演説を判断したのだろう。

もっとも吉田の「回想十年」によれば、アチソン議長から「ソ連もロシア語でやっているのだから日本語で演説してはどうか」とすすめられ、「国粋主義誠に結構」と直ちに同意したという。

西村にとり、受諾演説づくりは思い出深い仕事だった。8月11日に他の用件で箱根小涌谷で静養中の吉田を訪ねた時のことである。

吉田は「今夜ここで書きたまえ」と言い放って、腹案を西村に語った。缶詰め状態になった西村が午前3時までかかって第一案を書き上げた。東京出発までに二案を用意し、ひとつを出発前に閣議で披露し、サンフランシスコで加筆することしにして出発した。

サンフラシスコ会議での各国の演説を踏まえて加筆するわけだが、インドネシア代表が演説で日本に対する質問を出し、吉田演説のなかでこれに答えよと注文するなど、なかなか確定できなかったという。

巻紙には宮沢喜一の筆跡も

吉田首席全権の30メートルの演説原稿=朝日新聞社提供

ともあれ、日本代表団は7日朝から英文草稿の翻訳にてんてこ舞いになった。もっと大変だったのが、外国人の記者団が「トイレットペーパー」と読んだ巻紙に、それを書き写す作業だった。

全権のひとりだった池田勇人蔵相の秘書官としてサンフランシスコに随行していた宮沢喜一の回想によれば、「チャイナタウンに行って巻紙を買ってきて、みんなで廊下でつないでつくった」(宮沢喜一回顧録・岩波書店)。

巻物は30メートルにも及んだ。随行者みんなで書いたのだから、後に首相になる宮沢もそれに加わった。巻紙のレプリカが東京港区麻布台の外交史料館に常設展示されている。

吉田演説は「欣然受諾」以外にも領土問題などで重要な中身を含む。次回はそれに触れる。

吉田演説は中継で日本にラジオ放送された。英語、フランス語などにも同時通訳され、世界に流れた。

(次ページ以降に吉田茂の演説全文を掲載)

<吉田茂の演説(日本語)>

ここに提示された平和条約は、懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することもなく、日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由且つ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。この平和条約は、復讐の条約ではなく、「和解」と「信頼」の文書であります。日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾致します。

過去数日にわたってこの会議の席上若干の代表団は、この条約に対して批判と苦情を表明されましたが、多数国間に於ける平和解決にあっては、すべての国を完全に満足させることは、不可能であります。この平和条約を欣然受諾するわれわれ日本人すらも、若干の点について苦情と憂慮を感じることを否定出来ないのであります。

この条約は公正にして史上かつて見ざる寛大なものであります。従って日本のおかれている地位を十分承知しておりますが、敢えて数点につき全権各位の注意を喚起せざるを得ないのはわが国民に対する私の責務と存ずるからであります。

第一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原群島その他平和条約第3条によって国際連合の信託統治制度の下におかるることあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を、私は国民の名において多大の喜をもって諒承するのであります。私は世界、とくにアジアの平和と安定がすみやかに確立され、これらの諸島が1日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。

千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。ただ得撫(ウルップ)以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計ったのであります。その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によって結ばれたポーツマス平和条約で日本領となったのであります。

千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。

また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。

その2は、経済に関する問題であります。日本はこの条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。8400万に及ぶ日本の人口は、残りの地域に閉じ込められしかも、その地域は、戦争のために荒廃し、主要都市は焼失しました。又、この平和条約は、莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約第14条によれば戦争のために何の損害も受けなかった国までが、日本人の個人財産を接収する権利を与えられます。斯くの如くにしてなお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか、甚だ懸念をもつものであります。

しかし、日本は既に条約を受諾した以上は、誠意を以て、これが義務を履行せんとする決意であります。私は、日本の困難な条件の下になお問題の円満な解決のためになさんとする努力に対して、関係諸国が理解と支持を与えられることを要請するものであります。

平和は繁栄を伴うものであります。しかし、繁栄なくしては、平和はありえないのであります。根底から破壊された日本経済は、合衆国の甚大なる援助をえて救われ、回復の途に進むことができました。日本は、進んで国際通商上の慣行を遵奉しつつ世界経済の繁栄に寄与する覚悟であります。そのために既に国内法制を整備致しましたが、今後もその完成につとめ、且つ、各種関係国際条約にすみやかに加入して、国際貿易の健全なる発展に参与する覚悟であります。

この平和条約は、国際経済の面において、このような日本国民の念願を実現しうべき途を開いてはおります。しかし、この途は、連合国側で一方的に閉ざしうることにもなっています。これは、平和条約の本質上、やむを得ないことかも知れませんが、われわれ日本国民としては、すべての連合国が現実にこの途を最大限に開かれるよう希望してやまないのであります。

私の演説を用意してから、今朝インドネシア外相から私に3つの質問をされたことを承知しました。質問は、他の代表もていきされた疑問を解明しようとするものであります。答は「しかり」であります。けだし、それは条約第14条及び第9条の公正な解釈だと思うからであります。この答がこの条約の下における日本の善意に対する他の国の疑問を解決するにたることを希望します。

その3は、未引揚者の問題であります。この平和条約の締結は、34万に達する未引揚日本人の運命について、日本国民の憂慮を新にするものであります。私は、すべての連合国が国際連合を介し、または他の方法によつて、これらなお抑留されている日本人のすみやかなる帰還を実現するために、あらゆる援助と協力を与えられるよう、人道のために切望してやまないのであります。引揚に関する規定が特に起草の最終段階において平和条約に挿入されたことは、日本国民の甚しく満足とするところであります。

上述のような憂慮すべき事由があるにもかかわらず、否、その故にこそ、日本は、いよいよもって、この平和条約を締結することを希望しているのであります。日本国民は、日本が平等な主権国家として上述のような懸念を除去し、諸国の不満疑惑等を解消するために現在よりも大なる機会をもつことを期待するのであります。

私はこの会議に代表されている諸国がなるべく多く平和条約に署名されることを希望してやみません。日本はこれらの国々と相互に信頼と理解ある関係を樹立し、且つ、相共に世界のデモクラシーと世界の自由を前進させる覚悟をもつものであります。

日本代表団はインドとビルマが会議に連なっていないことを知り甚だ残念に思います。アジアに国をなすものとして日本は他のアジア諸国と緊密な友好と協力の関係を開きたいと熱望するものであります。それらの国々と日本は伝統、文化、思想ならびに理想を共にしているのであります。われわれ日本国民はまず善隣の良き一員となり、その繁栄と発展のために十分貢献し、もって日本が国際社会の良き一員となることを覚悟するものであります。

中国については、われわれも中国の不統一のためその代表がここに出席されることができなかったことを最も残念に思うものであります。中国との貿易の日本経済において占める地位は重要ではありますが、過去6年間の経験が示しているように、しばしば事実よりもその重要性を誇張されておることであります。

近時不幸にして共産主義的の圧迫と専制を伴う陰険な勢力が極東において不安と混乱を広め、且つ、各所に公然たる侵略に打つて出つつあります。日本の間近かにも迫っております。しかしわれわれ日本国民は何らの武装をもっておりません。この集団的侵攻に対しては日本国民としては、他の自由国家の集団的保護を求める外はないのであります。之れわれわれが合衆国との間に安全保障条約を締結せんとする理由であります。固よりわが国の独立は自力を以て保護する覚悟でありますが、敗余の日本としては自力を以てわが独立を守り得る国力の回復するまで、あるいは日本区域における国際の平和と安全とが国際連合の措置若しくはその他の集団安全保障制度によって確保される日がくるまで米国軍の駐在を求めざるを得ないのであります。日本はかつては北方から迫る旧ロシア帝国主義の為めに千島列島と北海道は直接その侵略の危険にさらされたのであります。今日わが国はまたもや同じ方向から共産主義の脅威にさらされているのであります。平和条約が成立して占領が終了すると同時に、日本に力の真空状態が生じる場合に、安全保障の措置を講ずるは、民主日本の生存のために当然必要であるのみならず、アジアに平和と安定をもたらすための基礎条件であり、又、新しい戦争の危険を阻止して国際連合の理想を実現するために必要欠くべからざるものであります。日本国民は、ここに平和愛好諸国と提携して、国際の平和と安定に貢献することを誓うものであります。

日本が前述の安全保障の措置をとりたりとて之をもって直に日本の侵略の恐怖を惹き起こすべきいわれはありません。敗戦後多年の蓄積を失い海外領土と資源を取り上げられる日本には隣国に対して軍事的な脅威となる程の近代的な軍備をする力は全然ないのであります。この会議の開会式の席上トルーマン大統領も日本が過去6箇年にわたる連合国の占領下に総司令官マッカーサー元帥及びリッジウェー大将の賢明にして好意に満ちた指導を得て遂行した精神的再生のための徹底的な政治的及び社会的の改革ならびに物質的復興について語られましたが、今日の日本はもはや昨日の日本ではないのであります。新しい国民として平和デモクラシー、自由に貢献すべしとの各位の期待を決してゆるがせにしない覚悟であります。

私は最後に過去を追懐し将来を展望したいと思います。日本は1854年アメリカ合衆国と和親条約を結び国際社会に導入されました。その後1世紀を経て、その間2回にわたる世界戦争があつて、極東の様相は一変しました。6年前に桑港(サンフランシスコ)に誕生した国際連合憲章の下に数多のアジアの新しき国家は相互依存して平和と繁栄を相ともに享受しようと努力しています。私は国民とともに対日平和条約の成立がこの努力の結実のひとつであることを信じ、且つ、あらゆる困難が除去されて日本もその輝しい国際連合の一員として、諸国によって迎えられる日の一日も速からんことを祈ってやみません。何となれば、まさに憲章そのものの言葉の中に新日本の理想と決意の結晶が発見されるからであります。

世界のどこにも将来の世代の人々を戦争の惨害から救うため全力を尽くそうという決意が日本以上に強いものはないのであります。

われわれは、諸国の全権がさきの太平洋戦争において人類がなめた恐るべき苦痛と莫大なる物質的破壊を回顧せられるのを聞きました。われわれはこの人類の大災厄において古い日本が演じた役割を悲痛な気持をもって回顧するものであります。

私は、古い日本と申しましたが、それは古い日本の残骸の中から新しい日本が生れたからであります。

わが国もさきの大戦によって最も大きな破壊と破滅を受けたものの一つであります。この苦難によってすべての野望、あらゆる征服の欲から洗い清められて、わが国民は極東ならびに全世界における隣邦諸国と平和のうちに住み、その社会組織をつくり直して、すべての者のためによりよい生活をつくらんとする希望にもえております。

日本はその歴史に新しい頁をひらきました。われわは国際社会における新時代を待望し、国際連合憲章の前文にうたってあるような平和と協調の時代を待望するものであります。われわれは平和、正義、進歩、自由に挺身する国々の間に伍して、これらの目的のために全力をささげることを誓うものであります。われわれは今後日本のみならず、全人類が協調と進歩の恵沢を享受せんことを祈るものであります。

<吉田茂の演説(英語)>

The peace treaty before the Conference contains no punitive or retaliatory clauses; nor does it impose upon Japan any permanent restrictions or disabilities. It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and reinstate us as a free and equal member in the community of nations. It is not a treaty of vengeance, but an instrument of reconsiliation. The Japanese Delegation gladly accepts this fair and generous treaty.

On the other hand, during these past few days in this very conference hall criticisms and complaints have been voiced by some delegations against this treaty. It is impossible that anyone can be completely satisfied with a multilateral peace settlement of this kind. Even we Japanese, who are happy to accept the treaty, find in it certain points which cause us pain and anxiety.

I speak of this with diffidence, bearing in mind the treaty's fairness and magnanimity unparalleled in history and the position of Japan. But I would be remiss in my obligation to my own people if I failed to call your attention to these points.

In the first place, there is the matter of territorial disposition. As regards the Ryukyu archipelago and the Bonins which may be placed under United Nations trusteeship, I welcome in the name of the Japanese nation the statements by the American and British Delegates on the residual sovereignty of Japan over the islands south of the 29th degree, north latitude. I cannot but hope that the administration of these islands will be put back into Japanese hands in the not distant future with the reestablishment of world security-especially the security of Asia.

With respect to the Kuriles and South Sakhalin, I cannot yield to the c1aim of the Soviet Delegate that Japan had grabbed them by aggression. At the time of the opening of Japan, her ownership of two islands of Etoroff and Kunashiri of the South Kuriles was not questioned at all by the Czarist government. But the North Kuriles north of Urruppu and the southern half of Sakhalin were areas open to both Japanese and Russian settlers. On May 7, 1875 the Japanese and Russian Governments effected through peaceful negotiations an arrangement under which South Sakhalin was made Russian territory, and the North Kuriles were in exchange made Japanese territory.

But really, under the name of "exchange" Japan simply ceded South Sakhalin to Russia in order to settle the territorial dispute. It was under the Treaty of Portsmouth of 1905 concluded through the intermediary of President Theodore Roosevelt of the United States that South Sakhalin became also Japanese territory.

Both Sakhalin and the North and South Kuriles were taken unilaterally by Russia as of September 20, 1945, shortly after Japan's surrender. Even the islands of Habomai and Shikotan, constituting part of Hokkaido, one of Japan's four main islands, are still being occupied by Soviet forces simply because they happened to be garrisoned by Japanese troops at the time when the war ended.

The second point is economic. Japan has lost 45 percent of her entire territory together with its resources. Her population of almost 84 million has to be confined within the remaining areas, which are war-devastated, with their important cities bombed and burnt. The peace treaty will deprive Japan of her vast overseas assets. Moreover, article 14 empowers Allied Nations, which have suffered no damage from the war, to seize Japanese private property in their countries. There is fear as to whether Japan, reduced to such a predicament, could ever manage to pay reparations to certain designated Allied Powers without shifting the burden upon the other Allied Powers. However, we have undertaken the obligations of the treaty in this respect, and we mean to carry them out. I solicit the understanding and support of the governments concerned vis-a-vis Japan's efforts toward a satisfactory solution of this problem in the face of huge difficulties.

With her war-shattered economy salvaged through American aid, Japan is making progress on the road of recovery. We are determined that our nation shall cease to be a burden on other countries but shall contribute positively to world prosperity, while observing fully the fair trade practices in international commerce. For this purpose domestic laws have already been promulgated. By perfecting this legislative machinery and by participating in the various international agreements we intend to contribute to the wholesome development of world trade. The present treaty opens the door to the realization of such aspirations of Japan in the field of international economy. But the same door may be closed by the Allied Nations at any time. This may be an inherent feature of such a peace treaty. I only hope that the door will be kept open by all countries as widely as possible.

Since my speech was prepared I have heard the three questions put to me this morning by the distinguished Foreign Minister of Indonesia. The questions seek to resolve doubts such as have been expressed by some others.

The answer to these questions is "Yes" since that means in our opinion a fair interpretation of articles 14 and 9 of the treaty. I hope that this answer will resolve any doubts of others as to Japan's good intentions under the treaty.

Thirdly, there is the question of repatriation. The conclusion of this peace treaty arouses afresh the anxiety of the Japanese people regarding the fate of the more than 340 thousand of their compatriots, who have failed to return. In the name of humanity I would like to appeal to all Allied Powers for continued assistance and cooperation toward speeding the repatriation of these hapless Japanese nationals through the instrumentality of the United Nations, or by any other means. We are thankful that a provision relating to repatriation has been inserted in the treaty at the final stage of drafting.

In spite of the existence of these causes for anxiety, or rather because of it, Japan is all the more anxious to conclude the peace treaty. For we expect that Japan as a sovereign and equal power would gain wider opportunities for eliminating anxiety, as wel{sic} as for dissipating the dissatisfactions, apprehensions, and misgivings on the part of other powers.

I hope the peace treaty will be signed by as many as possible of the countries represented at this Conference. Japan is determined to establish with them relations of mutual trust and understanding and to work together for the advancement of the cause of world democracy and world freedom.

It is with keen regret that the Japanese Delegation notes the absence of India and Burma. As an Asiatic nation Japan is specially desirous to cultivate relations of closest friendship and cooperation with other Asiatic nations with whom we share common problems, common spiritual and cultural heritages, and common aspirations and ideals. We hope Japan may become a good member of the world community by being first a good member of the immediate neighborhood by contributing her full share toward its prosperity and progress.

As regards China, I confine my remarks to two points. The first point is that like others, we regret that disunity prevents China from being here. The second is that the role of China trade in Japanese economy, important as it is, has often been exaggerated, as proven by our experience of the past 6 years.

Unfortunately, the sinister forces of totalitarian oppression and tyranny operate still throughout the globe. These forces are sweeping over half the Asiatic continent, sowing seeds of dissension, spreading unrest and confusion, and breaking out into open aggression here and there-indeed, at the very door of Japan. Being unarmed as we are, we must, in order to ward off the danger of war, seek help from a country that can and will help us. That is why we shall conclude a security pact with the United States under which American troops will be retained in Japan temporarily until the danger is past, or international peace and security will have been assured under the United Nations auspices or a collective security arrangement. Japan was exposed once to the menace of Czarist imperialism from the north which threatened the Kuriles and Hokkaido. Today it is the Communist menace that threatens her from the same direction. When the Allied troops are withdrawn from our country with the conclusion of peace, producing a state of vacuum in the country, it is clear as day that this tide of aggression will beat down upon our shores. It is imperative for the sake of our very existence that we take an adequate security measure.

This should not raise the bugbear of Japanese peril. Japan, beaten and battered, dispossessed of her overseas possessions and resources, is absolutely incapable of equipping herself for modern warfare to such an extent as to make her a military menace to her neighbors. For that she has not the materials; she has not the means; she has not the will.

President Truman at the opening ceremony of this Conference spoke of the sweeping political and social reforms of the spiritual regeneration, as well as the material rehabilitation of Japan, which the country has realized during the past six postwar years of Allied occupation under the wise direction and benevolent guidance of the Supreme Commander for the Allied Powers, General of the Army Douglas MacArthur, and his successor, General Ridgway. Japanof today is no longer the Japan of yesterday. We will not fail your expectations of us as a new nation dedicated to peace, democracy, and freedom.

Almost a century has passed since Japan first entered the world community by concluding a treaty of amity with the United States of America in 1854. Meanwhile there have been two world wars bringing astounding changes on the map of the Far East. Present at this Conference are the delegates representing a number of new states-most of which are members of the United Nations, born here in San Francisco 6 years ago. They are united with many other states in the East and the West in the one purpose to advance the cause of world democracy and freedom and to promote world peace and prosperity through unreserved cooperation under the Charter of the United Nations.

I am glad to believe that the signing of the Japanese Peace Treaty today marks one good fruit of their noble endeavors in that direction. It is my sincere hope that Japan will soon be permitted to join that glorious world organization of yours. For it is in the very language of the Charter itself that there is to be found the essence of the ideals and the determination of the new Japan.

Nowhere more than in Japan itself can there be found today a greater determination to play a full part in saving "succeeding generations from the scourge of war."

We have listened here to the delegates who have recalled the terrible human suffering, and the great material destruction of the late war in the Pacific. It is with feelings of sorrow that we recall the part played in that catastrophic human experience by the old Japan.

I speak of the old Japan, because out of the ashes of the old Japan there has risen a new Japan.

My people have been among those who suffered greatly from the destruction and devastation of the recent war. Purged by that suffering of all untoward ambition, of all desire for the path of military conquest, my people burn now with a passionate desire to live at peace with their neighbors in the Far East, and in the entire world, and to rebuild their society so that it will in ever greater fullness yield a better life for all.

Japan has opened a new chapter in its history.

We see in the future a new era among nations, an era of peace and harmony as described in the opening words of the Charter of the United Nations.

We seek to take our place among the nations who are dedicated to peace, to justice, to progress and freedom, and we pledge ourselves that Japan shall play its full part in striving toward these ends.

We pray that henceforth not only Japan but all mankind may know the blessings of harmony and progress.

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