特集「大震災 再生へ」内の記事のうち、福島原発事故関連の記事は特集「福島原発 遠い収束」に、被災地の復興に向けた記事は特集「震災復興」にそれぞれ移転しました。

虹の家で育つ、親を失った子どもたち(震災取材ブログ)
@東京

2013/1/1 7:00
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「今も、どこかで生きているんじゃないか。もっと色々な話をしておけばよかった」。「父の死は決して話さない。誰かに聞かれたら『外国に行っている』とウソをつく」。6400人を超える犠牲者の出た1995年の阪神大震災。親を奪われた子どもは長年、後悔や自責の念を口にし、表向きの表情とは別に、閉ざした心を抱えていた。

東日本大震災の遺児作文集「3月10日まではいい日だったね」の表紙絵=あしなが育英会提供

東日本大震災の遺児作文集「3月10日まではいい日だったね」の表紙絵=あしなが育英会提供

多くの仲間や理解者との出会いを通じて、少しずつ心を解き放ち、将来への決意を語るまでに、十数年の歳月が必要なことも珍しくはなかった。

東日本大震災の遺児を支援する「あしなが育英会」(東京)によると、寄付を元手にした一律200万円の一時金を支給した遺児は2073人(2012年12月現在)。20歳を超える大学院生らも含まれるが、同会が把握する阪神大震災の遺児573人の約3.5倍だ。

あしなが育英会が12年末にまとめた2冊目の東日本大震災の遺児作文集「3月10日まではいい日だったね」。岩手、宮城、福島県の小中学生14人が思いをつづっている。

震災当日、母親とけんかしたまま登校したという小3女子は、津波に巻き込まれ、無言の帰宅をした母親に、こう呼びかける。「私はお母さんが見つかってから(地震が起きた)金曜日の午後2時46分に、ベルを鳴らしています。そしてお母さんに『ゴメンネ』を送っています。ちゃんと聞こえていたらいいです」。

今年5月、遺児が安心して心を開ける集いの場として、新しい施設の建設が仙台市で始まる。阪神大震災の4年後、神戸市につくった「レインボーハウス」の東北版だ。完成予定は約1年後。1月下旬には、仙台市のレインボーハウスに先駆けて、宮城県石巻市と岩手県陸前高田市でサテライト施設づくりに着工、秋の完成を目指すという。

石巻市の新施設ではボランティアらが遺児とともに遊びながら時間をともにする(イメージ図)=あしなが育成会提供

石巻市の新施設ではボランティアらが遺児とともに遊びながら時間をともにする(イメージ図)=あしなが育成会提供

拠点となる仙台市のレインボーハウスには、神戸での工夫が盛り込まれる。ため込んだ感情を吐き出せるようにと、サンドバッグを思い切りたたける「火山の部屋」のほか、被災者が広域にわたる東日本ならではの実情に配慮して、児童送迎バスの導入も予定される。

ハウスでは、育英会の職員のほか、遺児のケアなどを学んだ「ファシリテーター」と呼ばれるボランティアらが、遺児とともに遊びながら、時間をともにし、寄り添う。

育英会は震災直後から遺児のいる家庭への訪問も続けている。職員、束田健一さんは「時間がたっても悲しみは消えない。逆に成長に伴って、様々な心の問題を抱えることも考えられる。一人でも多くの子の支えになるようにしたい」と話す。

厳冬の年明けとなった被災地。支援の輪の広がりが、あたたかな"虹の家"の誕生を心待ちにしている人々の心を灯す。(西島広敦)

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