2019年8月23日(金)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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川島派を継承、自民党副総裁に 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(5)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(4/4ページ)
2012/9/2 7:00
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当時、日韓関係は「金大中事件」でも険悪になっていた。昭和48年8月、東京・九段のホテル・グランドパレスに滞在中の韓国の反体制政治家・金大中が5人組の韓国人に拉致されて消息を絶った。その7日後に金大中はソウルの自宅に監禁されていることが判明した。犯行はKCIA(韓国中央情報部)部員で在日韓国大使館の一等書記官・金東雲らの犯行と断定され、政府は「韓国の公権力が介入し、日本の主権が侵害された」と強く抗議した。

■日韓関係沈静化へ朴大統領と会談

韓国側は「金書記官らの個人的な犯行であり、国内法で処罰する」と釈明し、同年11月2日、金鍾泌首相が来日して田中首相に遺憾の意を伝え「再びこの種の事件が起きぬよう十分自戒する」と述べて事件に一応の政治決着が図られた。ところが韓国政府は昭和49年8月14日、金東雲元一等書記官らはシロと断定したことを日本に通告してきた。木村俊夫外相は「日本の国民感情を逆なでするもの」と反発し、野党やマスメディアも朴政権に激しい批判を浴びせた。その直後に起きたのが文世光事件だった。

金大中事件で韓国政府は受け身に立たされていたが、文世光事件によって一転、日本政府が受け身に追い込まれた。韓国の反日デモは陸英修女史の国民葬後もさらに拡大した。朴大統領は後宮虎郎駐韓大使を呼び、田中政権への強い不信感を表明し、朝鮮総連の徹底取り締まりを強く求めた。米国も日韓関係の険悪化に強い憂慮を示した。田中首相は事態打開のため、椎名副総裁に政府特使として訪韓するよう要請した。かつて日韓国交正常化交渉をまとめた椎名は朴政権に絶大な信頼があった。

韓国の朴大統領(右)と会談する椎名悦三郎(左)

韓国の朴大統領(右)と会談する椎名悦三郎(左)

椎名は日韓関係の悪化をこのまま放置することは危険だと考え、特使を受諾した。問題は朝鮮総連の扱いだった。日本の捜査当局は文世光事件の背後に朝鮮総連の工作があったとは立証できないとの立場だったが、韓国政府は朝鮮総連が深く関わっており、日本が韓国政府転覆のテロ活動の基地になっているのは許し難いと主張していた。日韓間、及び国内調整の結果、田中首相の親書に日本政府の道義的責任を認め、韓国政府転覆のテロ活動の取り締まりに全力を挙げることを明記し、朝鮮総連の扱いについては椎名副総裁が朴大統領に口頭で説明することになった。

昭和49年9月19日、椎名副総裁は政府特使として韓国を訪問し、直ちに青瓦台で朴大統領と長時間会談した。椎名は大統領に田中首相の親書を手渡し、朝鮮総連については「昭和30年以来、破防法の調査対象団体として厳しく監視しており、今後とも厳格に調査活動を続ける方針である。朝鮮総連等の団体の構成員によるか否かを問わず、貴国政府の転覆を意図する暴力行為や貴国要人に対するテロの準備等の犯罪行為についてはその取り締まりによって防止と抑制のため最善を尽くす方針である」と口頭で大統領に説明した。

朴大統領はこれを了解し、椎名の口頭説明は文書にして後宮駐韓大使がサインして韓国側に提出された。椎名は朴大統領に金大中問題について「韓国側の捜査結果には不満であり、金大中の早期出国を許可すべきである」との日本の立場を伝えた。朴・椎名会談によって日韓関係の悪化は収拾され、韓国内の反日デモは沈静化した。椎名訪韓には坪川信三、金丸信、宇野宗佑、山村新治郎、中村弘海の6人の国会議員が同行した。田中内閣は三木武夫副総理、福田赳夫蔵相の相次ぐ辞任で弱体化し、国内政局でも椎名副総裁の存在が大きな注目を集めていた。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 「記録椎名悦三郎(上下巻)」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 椎名悦三郎著「私の履歴書」(私の履歴書第41集収載=70年日本経済新聞社)
 「現代史を創る人びと4(椎名悦三郎インタビュー収載)」(72年毎日新聞社)
 「椎名悦三郎写真集」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)

※1、2、4枚目の写真は「椎名悦三郎写真集」から

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