2019年1月23日(水)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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川島派を継承、自民党副総裁に 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(5)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2012/9/2 7:00
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椎名悦三郎外相の国会での変幻自在な「おとぼけ答弁」は世間の注目を集めた。過去の日韓関係について「深く反省する」と述べたことに社会党の戸叶里子議員が「どういう意味か」と質問した。椎名は「しみじみと反省しているという意味でございます」と答弁して議場は爆笑につつまれた。日米安保条約については「アメリカは日本の番犬であります」と答弁し、野党議員が「大臣、そんなことを言っていいのか」とたしなめると再答弁して「番犬さまでございます」と言ってのけた。

■変幻自在の「おとぼけ答弁」

衆議院外務委員会で答弁する椎名外相

衆議院外務委員会で答弁する椎名外相

「吉田書簡」問題では終始のらりくらりの答弁を続けた。昭和38年10月、油圧化機械見本市に来日中の中国視察団の通訳が「台湾か米国に行きたい」と亡命申請した事件が起きた。自民党長老の松村謙三を通じて中国との関係改善を進めていた池田政権はこの通訳を中国に強制送還した。これに台湾当局が激怒して日台関係は断絶の危機に陥った。事態打開のため、池田首相は吉田茂元首相を台湾に派遣した。吉田書簡は蒋介石総統との会談結果をまとめたもので、その中には中国とのLT貿易で合意していた輸銀融資の延べ払いプラント輸出を日本が見合わせることが含まれていた。

佐藤内閣はこの吉田書簡に沿って輸銀融資の対中プラント輸出を凍結した。これにより日台関係は修復されたが、日中関係は悪化した。これほど日本外交に大きな影響を及ぼした吉田書簡の公表を野党は強く求めた。

戸叶里子(社)「その書簡を見るのにはどうしたらよいのか。吉田さんにお願いしたらいいのか。外務省にお願いしたらいいのか」.

椎名外相「それは私信でありますから、すでに台湾に渡った書簡でありますから、台湾のほうにわたったのです」.

戸叶「台湾に行って見てこいなんて、こんな失礼な答弁はまともにうけとれない」。

椎名「台湾に行って見なさいと言ったわけではない。これは私信そのものですから、勝手に私が見せるとも見せないとも申し上げかねます」。

戸叶「外務大臣はこの書簡をご覧になってご存じですね」。

椎名「私はそれを見ておりません。見ておりませんが、その内容は承知しております」。

こんな調子で野党の追及の矛先をかわし、公表を突っぱね続けた。

外相在任の2年半の間に、椎名は国連総会出席3回、欧米各国のほか、ソ連、東南アジア、中南米など世界中を歴訪した。兄貴分の川島正次郎副総裁が「あの無精者がよくまあ動けるものだ」とあきれるほどだった。特に1966年、(昭和41年)1月、現職外相として戦後初めてソ連を訪問し、コスイギン首相、グロムイコ外相と会談して日ソ航空協定を締結したのは画期的だった。

これによってソ連は初めてシベリア上空を開放し、日本からモスクワ、さらにモスクワを経由して欧州の距離が大幅に短縮された。椎名はかねて日ソ関係の改善に意欲を持っていた。叔父の後藤新平が晩年にソ連高官・ヨッフェと接触して日ソ国交打開を模索したことも念頭にあったとみられる。吉田書簡問題で日中関係が悪化したことを踏まえ、日本の外交戦略上からも日ソ関係が重要と考えていた。

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