雪下ろし後の缶ビール、五臓六腑にしみる
雪原遊覧ガイドの野沢日記
野沢のバカ雪!――。85歳になる「白樺」のおばあちゃんが、何度口にしたことだろう。この冬は2006年以来6年ぶりの豪雪で、1月下旬から2月にかけて11日間連続で降り続いた。この間、一度も太陽を拝んでいない。2月3日の450cmが、野沢温泉スキー場の今年の最高積雪である。

初めての雪下ろし、背丈超える"カベ"と格闘
このときは40~50cmの雪がひと晩に降り積もった。朝と夕方に雪かきしても追いつかない。隣の民宿「仁作」の富井武志さんが、除雪機で加勢してくれた。「白樺」の河野博明さんに誘われ2階の屋根に上がった。初めての雪下ろし。目の前には自分の背丈を超える雪のカベがある。
雪かき用シャベルで、屋根の端から約10m下の裏の畑に、雪のブロックを落とす。どどどっという豪快な音に胸のすく思いだが、身体はおっかなびっくりの及び腰だ。一瞬、雪下ろし転落事故のニュースが頭をよぎる。日暮れまで約2時間、おかみさんが屋根に放り上げてくれた缶ビールが五臓六腑にしみわたった。

午前4時の新雪が14cm以上だと、村の除雪車が出動して道路の雪をかいてくれる。ただ、両サイドの雪と駐車場の雪は人力で水路に流さなければならない。一度に大量の雪を入れると溝がつまって水があふれ道路が川になる。氷やつららが混じるとなおさら始末が悪い。
そんなときは決まって、下のおじさんから「水が家に入るじゃないか」とクレームがくる。下の駐車場で雪かきしている旅館のお兄さんからも文句がでる。お互いさまじゃないか、と思いながらも、流す量の加減が難しい。雪の処理をめぐり隣近所がギスギスするが、解決は春を待つしかない。
私が趣味で参加している東京のある句会に、<諍(いさか)いの雪を流して千曲川>という駄句を投句したが、都会の人には"諍いの雪"がピンとこなかったようだ。その裏返しで、「雪見酒、いいですね」なんてメールがくると、それどころじゃないのに、とちょっぴり恨めしくなる。
常連と顔なじみに、温泉で情報交換
弥生3月になると、もうしめたものだ。黙っていても日差しが雪を解かしてくれる。下層で氷となった雪をツルハシで割るのもこんな日に限る。もちろん雪は降るし、水分を含んだ重い雪だが、1月や2月の雪のようにねばりがない。米に例えれば、もち米とうるち米の違いがあり、扱いやすい。

雪かきで汗をかいた日にはかけ流しの熱い温泉が至福のときだ。「白樺」から賽の神坂を下って徒歩約2分の上寺湯が私の行きつけの外湯で、御影石の湯船が美しい。温泉街には13の外湯があるが、この湯と決めたら浮気はしない。ほぼ同じ時刻に顔を合わせる常連の村びとが何人かいる。
87歳のおじいさんは、判で押したように軍隊時代の話をはじめる。終戦の年に20歳で召集され千葉の習志野連隊に入隊。毎晩、ビンタを食らったつらい思いは生涯忘れない、という。写真好きの村役場の課長、リフト乗り場で顔なじみの人もおり、お湯につかりながら情報交換ができる。
風呂で騒ぐ若者に一喝、すっかり村民気分
野沢のスキー場の歴史はたかだか100年だが、温泉の歴史は1200年と古い。江戸時代から湯治場として盛んになり、越後のお百姓さんたちが信越国境の山を越えて湯治にやってきた。むかしから住民自治組織の野沢組が外湯の源泉を管理、各地区の湯仲間が当番で清掃にあたっている。

私は上寺湯の常連ながら、居候先の「白樺」は横落(よこち)の湯の湯仲間だ。この地区には30軒近くの家があり、2カ月に1回のペースで風呂掃除の当番が回ってくる。そんなときは、「白樺」の息子たちと一緒に、「ただいま清掃中」という札を持って出かける。朝7時前後が清掃タイムだ。
男湯はのぞいて入浴中の人数を確認できるが、女湯は自分で確かめるわけにはいかない。あがってくる女性に残りの人数を聞いて、最後のひとりと入れ替わるように掃除道具をもって突入する。1日おきの掃除なのだが、流しのパイプには湯垢がべっとり。清掃後の一番風呂を待つ人もいる。
上寺湯通いが3年目になると、いまや"外湯の番人"だ。水でぬるめようとする人には視線を送ってやんわり注意する。うるさい大学生グループには静かにしろと一喝し、「ガイユ」と発音した若い人には外湯のよみ方を教える。なんだかんだで、自分でも結構、村民気分を楽しんでいる。
(雪原遊覧ガイド 土田芳樹)
※「定年世代 奮闘記」では日本経済新聞土曜夕刊の連載「ようこそ定年」(社会面)と連動し、筆者の感想や意見を盛り込んで定年世代の奮闘ぶりを紹介します。