日米外交60年の瞬間 第5部

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戦後体制めぐる吉田・芦田論争 講和発効まで(11)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

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2013/4/6 7:00
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1951年9月15日夜の増田甲子七自由党幹事長の東海道線車中での発言について続ける。

■権力の絶頂の吉田

発言5を再び引用する。

「吉田首相は任期満了前に辞めないだけでなく、おそらく次の総選挙にも出るつもりと思う。鳩山氏との政権の授受といっても同氏の健康が問題だ」

きわめて政局的な発言である。

1951年
  12月24日
吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
   1月18日
韓国、李承晩ラインを設定
   2月15日第1次日韓正式会談始まる
   2月28日日米行政協定に署名
   4月28日対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
   1月20日
アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
   10月2日池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
  12月24日奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)

大きな仕事を終えた政治家の心中には2つの異なった方向の動きが去来する。ひとつはそれを花道にした退陣であり、もうひとつはそれを基礎にさらに仕事を続けようとする心の動きである。

51年9月の吉田の胸中にあったのは後者だった。吉田体制は絶頂にあった。前に述べたように、政権をうかがう鳩山一郎は脳梗塞で倒れ、健康に問題があった。国民的人気もあった。

宮沢喜一は次のように書く。

「サンフランシスコの講和会議を終わって吉田内閣の人気は最高潮に達した。9月25日に某大新聞の発表したアンケートによると、『あなたは吉田内閣を支持するか』との問に対して実に58%が支持すると答えている。同じ問に対して昭和24年の10月には43%、25年の4月には32%の支持率があったのと比較して、これは著しい人気の向上であった」(宮沢「東京―ワシントンの密談」)

吉田の退陣は1954年12月だから、講和条約に署名した51年9月から3年余りも後である。が、人気の頂点は51年9月であり、その後2回の衆院選に勝ち、第5次吉田内閣まで組織するが、吉田長期政権はそれによってしかれた日米関係に対する一種の飽きを日本側に生じさせるが、それはまだ先の話であり、吉田側近の増田もまた権力の絶頂を味わっていた。

■芦田均前首相は「再軍備急げ」

増田発言の半日後、民主党の芦田均前首相が茨城県土浦で「再軍備を急げ」など次のように語った。

・再軍備は急がなければならない。政府は米国に対外援助法を日本にも適用してもらうよう要請すべきだ。費用は援助法で一個師団当たり2億ドルの援助が見込めるから再軍備すれば日本がつぶれてしまうという考えはあたらない。

・兵力量は満州事変前の15個師団18万8000という数字が一応の標準になろう。

外交専門家らしい発言である。

芦田は吉田の前任の首相である。吉田と同じ外交官出身であり、外交官試験合格年次でいえば、吉田が明治39年(1906年)、芦田が44年(1911年)だから、吉田が5年先輩である。

40歳代半ばで政治家に転身し、1948年に首相となる。が、昭電事件のために半年あまりの短命政権に終わる。

吉田首相に国会質問戦を挑む芦田均=朝日新聞社提供

吉田首相に国会質問戦を挑む芦田均=朝日新聞社提供

芦田は野党の有力者である。野党といえば、この物語では社会党の全面講和論をもっぱら紹介してきた。吉田に対する左からの挑戦だが、芦田の考えは、吉田がなしたサンフラシスコ講和、日米安全保障条約に対する、いわば右からの問題提起である。

時計の針をいったん早回しして51年10月18日午後1時53分とする。場所は衆院平和条約・安保条約特別委員会。芦田が吉田に対し、こう質問を始める。

長くなるが、引用する。これでも冒頭発言の一部でしかない。

「今回の平和条約は、わが国の歴史における画期的の記録であり、永久に民族の脳裡に残さるべき記念塔であります。しかもこの条約は,戦争によつて引起されたる一切の過去に終止符を打つと同時に、日本が世界的怒濤の中に処して将来進むべき新しい針路を決定したものであります」

「新しい方針を決定したと私が申すのは、単に日本のみの問題ではありません。連合諸国、なかんずくアメリカの政界、言論界の間においては、今回の対日条約調印は、アメリカの安全保障に関する新しい政策の出発点であると申しております。この平和条約と安全保障条約とを一体として考えてみれば、それは将来日本がいわゆる民主主義諸国群と歩調を合わせて共産勢力に対抗する決意をなした、一つの表徴と見るべきものであります。われわれはかような基本方針については、必ずしも支持を惜しむものではありません」

「しかしながら平和条約はなお幾多の未解決の問題を残しておるばかりでなく。日米安全保障条約は世にもまれなる条約であり、しかもすべての細目を行政協定に譲っておる関係上、国会において政府の説明をまたなければ、無条件に賛意を表することができないことはもちろんであります。かような意味において、われわれは大局の上から慎重に審議を尽す決心であります。従って政府もまた誠意をもって、国民の納得するまで十二分に所信を披瀝されんことを希望いたします」

芦田はここで2つの条約の意味を詳細に確認しようとする。論点は多岐にわたる。中国との平和条約、自衛権、再軍備をめぐるやりとりを別掲する。いずれも歴史的問答であり、いま読んでも味わい深い。

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