2019年8月26日(月)

日米外交60年の瞬間 第3部

フォローする

吉田茂も大磯から上京 サンフランシスコへ(3)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/9/3 12:00
保存
共有
印刷
その他

来週の木曜日つまり2011年9月8日は、サンフランシスコで対日講和条約に吉田茂首相ら全権団が署名し、吉田ひとりが日米安保条約に署名してちょうど60年の記念日である。それについては後に詳しく触れる。物語を1951年4月17日に戻す。

「われわれ講和使節団はマッカーサー元帥の帰国で悲しみに沈んだ日に日本を再び訪れた」――。17日午前9時、総司令部(GHQ)は、来日したダレス特使の声明を発表した。引用した冒頭部分を読むだけで訪日の狙いがわかる。マッカーサー解職で日本が受けた衝撃の緩和であり、これまでの対日路線に変化はないとのメッセージの確認である。

■平和主義には触れぬダレス

ダレス声明は「過去5年間にわたる占領を通じて日本における人間の自由は、婦人(ママ)参政権、農地改革、労働者の組織化、軍国主義および警察的恐怖政治の除去、新聞の自由その他広く日本国民に主権を与える諸措置によって拡大された」と、マッカーサーの日本での業績を振り返る。

66年の時間の経過のなかで既に忘れられかけているが、今日の日本人が民主主義と考えるものの多くは、この時代に日本にもたらされた。ただし日本に再軍備を求めるダレスである。当然ながら、マッカーサー憲法とも呼ばれる日本国憲法の中核である第9条の平和主義には触れていない。

「戦後民主主義」という言い方には否定的な響きを聴くひともいる。後に空想的平和主義とさえ呼ばれるような安全保障感覚も戦後民主主義の所産ではある。

同時に、占領下とはいえ、ダレスのいう「人間の自由」が、戦時下に比べ、拡大したのは疑いの余地はない。当時の日本人がマッカーサーを敬愛したのは、帝王に解放者を見たからなのだろう。

冷戦の戦士であるダレスらしく「共産帝国主義が人間の肉体と精神を侵略的軍国主義的独裁への奉仕に駆り立てることにより、新たに勝ち得たこの自由を破壊し、人格を低下させようとすることに対し、断固たる抵抗が行われてきた」と共産主義と戦う日本を礼賛する。それにしても「共産帝国主義が人間の肉体と精神を侵略的軍国主義的独裁への奉仕に駆り立てる」の表現は激烈である。

当時の日本の知識人のなかにはこうした反共主義に反発する傾向が強かったが、スターリンのソ連、毛沢東の中国、そして現在の北朝鮮における人権抑圧をみれば、ダレスの表現に間違いはなかった。

さて最高司令官がマッカーサーからリッジウェーに交代し、ダレスも来日したとなれば、吉田首相も大磯の私邸にこもっているわけにはいかない。17日は上京して午後6時にGHQにリッジウェーを訪ねて初めて会談した。

■マッカーサーに議会の招請決議

東京では、このようにマッカーサー解職の余波が残っていたが、そのころ、当のマッカーサーはハワイで休息中だった。本人が米本土の土を踏んでいないのに、レイバーン議長が指導力を発揮する米下院は、マッカーサーを19日の上下両院合同会議に出席するよう招請すると満場一致で決定した。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

ワシントンでは19日という時機をめぐってざわめきがあった。

同じ日にトルーマン大統領もラジオ演説をすることになっていたからだった。マッカーサーが英雄になるのは、朝鮮戦争を戦うトルーマン政権には好ましくなかった。当時の米軍首脳部にとっても同様だった。

だから米下院がマッカーサー招請を決議した米東部時間の16日、ブラッドレー米統合参謀本部議長はシカゴでの演説で、朝鮮の戦線の拡大は危険であると警告した。トルーマン大統領も米独立記念婦人協会の第60回総会にメッセージを送り、「今日まで平和への道を誤らなかったと確信する」と述べた。

ブラッドレーがウエストポイントの陸軍士官学校を卒業したのは1915年だから、マッカーサーよりも12年後輩であり、後に大統領になったアイゼンハワーと同期だ。ノルマンディー上陸作戦の功労者でもある。マッカーサー解職をトルーマンに説いたのは、ブラッドレーとされる。

中国を戦争に巻き込む是非をめぐる食い違いのせいだが、そもそも帝王マッカーサーは、後輩の指図を受けたくなかった。元帥同士の確執でもあったのだろう。

マッカーサーをめぐるニュースは当分の間続く。

日米外交60年の瞬間をMyニュースでまとめ読み
フォローする

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ連載トップ


日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報

新しい日経電子版のお知らせ

より使いやすく、よりビジュアルに!日経電子版はデザインやページ構成を全面的に見直します。まず新たなトップページをご覧いただけます。

※もとの電子版にもすぐ戻れます。