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損して撤退なんてだらしない投資家だよ

外山滋比古さん

──26年前に出版された『思考の整理学』が再び注目を集め、現在150万部のミリオンセラーです。そんな外山先生が株式投資を30歳から始められていたことを、近著の『「人生二毛作」のすすめ』で知り、正直驚きました。投資歴は既に58年。仲間と投資クラブも作られ、月に1回の会合では先生が中心だそうですね。

素人ばかり10人くらい集まって好き勝手なことを言い合ってね、楽しいですよ。モットーは証券会社のいうことは聞かない、安く買って高く売る。銘柄選びよりも、これから社会がどう変わるかなんて話が多いです。

でもユニクロなんかは証券マンが言い出す前から注目してましたし、9・11の同時多発テロのときは近いうちに航空業界が復活して、金属チタニウムの需要が増えるとみんなで予測し、随分もうけたこともあります。あくまで長期投資で、3年くらいで2倍になる銘柄を探すんです。

──それはすごいです。

もちろん外れもしますよ。勝率は3~4割じゃないでしょうか。素人ですからうまくいけばうれしいし、いかなくたってしょうがないねと、そう思える余裕資金でやってます。

株式投資はギャンブルだと自覚して、それが楽しいんです。年を取るとリスクを取ることも少なくなってきますからね。株式投資で得られる刺激や緊張感はとてもいいと思います。

──大きな下げ局面ではどう対処されますか?

損したときに撤退するのはだらしない投資家ですよ(笑)。そこはグッと我慢しないと。だからこそ投資は当面必要のないおカネでするのが大事なのです。

私の親父は実直なサラリーマンでしたが、非常に熱心に株式投資をしていました。子供の私には株のことは一言もいいませんでしたけれど、本屋へ行くと株の雑誌ばかり見ているから分かりましたよ(笑)。株って面白いんだなと親父の背中を見て覚えたんです。でも親父はあまり売買は上手じゃなかったみたいで、損していることが多かったようでした(笑)。

自分も投資をするようになって分かったんですが、親父は信用取引をしてたんですね。信用は期限がありますから損していても時期がくれば清算しなきゃならない。毎日相場を眺めているわけには行かない素人には無理ですよ。株という変動するものを期限を切って判断するのは非常に難しい。期限のついたおカネで株をやらない、信用取引はしないっていうのが私の投資方針です。

──外山先生が投資を始められたのは30歳のとき。東京教育大学(現在の筑波大学)で英文学の研究をされていた。

初めて買った株はよく覚えてます。銀行口座から11万円を引き出して、旭硝子、キリンビール、日本光学(今のニコン)、東京製綱を200株ずつ買いました。

──200株ずつというのが賢い感じです。もしかすると上がったら100株だけ利益確定する戦略でしたね?

いやいや、たまたま手元にそれだけカネがあったと。なけりゃ100株ずつ、もっとあれば300株ずつ買ってましたよ(笑)。ただ分散投資は意識してました。一つの銘柄だけは買わない、なるべく系統の違うのを買うと。

──1953年当時に分散投資を意識していたのはすごい。

株の勉強をしたわけではなく、英国人の投資家が作ったことわざで「一つのかごに卵を盛るな」というのを知っていたからです。ただ、そのおかげで今は保有銘柄がとても多くなってしまいました。株はどうしても売るより買う方が面白いので(笑)。

──当時、資産のどの程度を株式投資に充てていましたか?

6~7割でしたでしょうか。残りは銀行預金でした。生命保険は一切入っていませんでしたし、今も入っていません。

──生命保険が嫌い?

生命保険とは、いわば保険会社におカネを貸して、自分が早く死ねば利益が出るという仕組みでしょう。勧誘の営業マンがしつこく来るのでよく議論をふっかけたものです。

昭和30年代の入り口で、ものすごいインフレでしたから「なけなしのおカネで保険料を払って、数十年後には貨幣価値は半分以下になっているかもしれない。そうした場合の対策も示さずに、ただ保険に入れ入れなどというのは詐欺じゃないか。これからの経済成長の見込みを含めて、僕を説得してみなさい。納得できたら5000万円の保険に入るよ」って。実際それから40年で貨幣価値は3分の1程度になりましたよね。

──先生を説得できた営業マンは結局いなかった。

例えば英国は19世紀の百年間に物価が2~3%しか上がってないのです。そういう社会なら保険は万が一の備えとして大変いい。だけどそれを経済環境の違う当時の日本でやって、加入者に利益をもたらす仕組みがあるのかと。

そう力説した手前、自分自身の資産運用も経済成長に見合った利益を生むものにすべきじゃないかと思ったわけです。だとすればそれはもう株式投資しかないと。今から考えると学校の教師が有り金の7割を株に充てちゃうなんて、冒険でしたね。周囲にそんな人は一人もいませんでしたよ(笑)。

──45歳のときに、反対運動をされていた勤務先大学の移転に伴い、大学を辞める決意をされた。それができたのも株式投資で作られた資金があったから?

それは言い過ぎですが、職を失っても5~6年は家族が生活に困らない蓄えがあったことは大きかったですね。株式投資は僕にとってはレクリエーション。でもそのおかげで学問という本業でおカネもうけを考えずにすみました。学校の教師は、よく収入目当ての仕事をするのです。僕はそれを一切せず、純粋に仕事をしてきた。仕事が休みの日にゴルフに行く代わりに株式投資をしたという感じでしょうか。

(聞き手=安原ゆかり)

[日経マネー2010年7月号の記事を基に再構成]

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