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パンダは入園者数増加の起爆剤になるか

来日した2頭のジャイアントパンダは、2011年2月21日午後11時36分に上野動物園(東京・台東)へ到着した。深夜のうえ、パンダの体調などを考慮してパンダの撮影はできないにもかかわらず、70社、193人の報道関係者が園内へ取材に訪れた。2頭は22日深夜0時20分に、改修したパンダ舎へ収容された。

1988年の新築以来、初めての改修

現在あるパンダ舎は二代目だ。新築時の工期は、1987年11月6日~1988年3月31日。設計・監理を上野動物園工事課と柳建築設計事務所、施工を大成建設が担当した。改修するのは、1988年の新築以来、初めてとなる。室内運動場のステンレス製の扉は一見きれいだったが、水が入って中はボロボロに傷んでいるなど、改修は見た目以上に大変だった。

動物舎の構造は動物によって異なり、そのノウハウを専門に持っている会社はない。どのように改修するかは、上野動物園の飼育担当者や東京都の技術職員、設計コンサルタントらが知恵を絞って決めた。

施設の運営と管理は東京動物園協会が担当する。指定管理者制度で、東京都から10年間の特命指定を受けている。

カンカンとランランは当初トラ舎に間借り

上野動物園の小宮輝之園長が書いた『物語 上野動物園の歴史』(中央公論新社)によると、パンダ舎の建て替えに至る経緯はこうだ。

日本に初めてパンダがやってきたのは1972年。カンカン(雄)とランラン(雌)が来日した。日中国交回復を記念してパンダ贈呈が決まった9月からパンダが到着する10月まで、わずか1カ月だった。このため2頭のパンダは、パンダ舎ができるまでトラ舎に間借りした。

1973年5月にはガラス張りのパンダ舎が完成して、カンカンとランランは引っ越した。

1979年9月、ランランが死亡する。解剖の結果、子宮内に胎児を確認した。1980年1月には、カンカンの相手としてホァンホァン(雌)が中国からやってくる。しかし同年6月、ランランの後を追うようにカンカンが急死した。ホァンホァンの相手として、1982年11月9日に中国からフェイフェイ(雄)が到着した。

1982年には、パンダ舎に隣接する建物が火災で焼失。この957.66m2の敷地を上野動物園が取得して、パンダ舎の運動場を拡張した。

1985年6月、人工授精によってホァンホァンが初めて出産した。しかし、子どもは生後2日で死亡した。1986年6月にもホァンホァンは人工授精で出産。今度は無事に育ち、トントンと名付けられた。性別は後日、雌と分かった。

トントン誕生を機に建て替え

パンダ舎は、トントンの誕生で手狭になったことと、トントンの人気で来園者が増えたことから、拡張するかたちで建て替え、1988年4月にオープンした。これが現存の建物だ。同年6月、ホァンホァンは人工授精でユウユウ(雄)を出産した。

1992年には、日中国交正常化20周年を記念して、中国側と雄同士を交換した。繁殖適齢期になったトントンの相手として、同年11月5日にリンリンが来日。ユウユウは11月13日に中国へ渡った。

トントンとユウユウの父親のフェイフェイは、1994年12月に死亡。1997年9月には、母親のホァンホァンも死亡した。トントンとリンリンは1994年から毎年、人工授精をしていたが出産には至らず、トントンは2000年7月、腸の腫瘍で死亡した。

2000年には、残されたリンリンとメキシコの動物園のパンダとの間で、5年間の共同繁殖計画がまとまった。これにしたがい、リンリンは3度メキシコへ行ったものの、出産には至らなかった。5年契約の最後の2年は、メキシコからシュアンシュアン(雌)が来日することになり、2003年12月から2005年9月まで上野動物園に滞在したが、出産とはならなかった。2008年4月30日にリンリンが慢性心不全で死亡して、約35年間続いた上野動物園によるパンダの飼育が途切れた。

パンダ不在で入園者数は60年ぶりの300万人割れ

上野動物園は、1882年3月20日に開園した。現在の開園面積は約14haで、約500種類、3200点の動物を飼育している。

入園者数の推移を見ると、終戦の1945年度は約29万人だが、翌年度は約107万人まで回復した。

カンカンとランランが来日した1972年度の入園者数は500万9686人で、開園以来、初めて500万人を上回った。ピークは1974年度の764万7440人。以後、1980年度まで年間600万人を超える人が訪れた。

その後、500万人台になった年度もあったが、1986年度はトントンの誕生効果で前年度比117万人増の674万3341人に回復。1988年度まで600万人以上の入園者数を維持した。

リンリンが死亡してパンダ不在となった2008年度は、前年度比59万6679人減の289万8191人で、60年ぶりに300万人を割った。

入園者数を増やすため、上野動物園は様々な対応を試みる。開園時間を延ばしたり、開園日を増やしたりしたほか、飼育員が飼育体験を話すキーパーズトークなどのイベントも実施。だが、水族館に比べ動物園は天候に左右されやすく、暑さや寒さで客足は鈍る。今回のパンダの来園は入園者数増加の起爆剤になるかもしれない。上野動物園周辺の商店街の活性化などにつながる可能性もある。約2年10カ月ぶりのパンダ来日が決まった背景には、地元の熱意や子どもたちの寄せ書きなどが少なからず影響している。

四川大地震で避難したパンダがやってきた

今回来日した2頭のパンダは、中国の四川省にある臥龍(がりゅう)パンダ保護研究センターで生まれた。

臥龍パンダ保護研究センターでは、絶滅の危機にあるパンダの育成と繁殖のための研究を続けてきた。しかし、2008年5月12日に発生した四川大地震の震源の近くだったので、建物が倒壊するなど壊滅的な被害を受けた。パンダは1頭が死亡、1頭が行方不明になったと報じられた。センターにいたパンダたちは、四川省の雅安碧峰峡基地をはじめとするほかの施設に避難した。

2月21日に来日した2頭のパンダは、四川大地震が発生したとき、臥龍パンダ保護研究センターにいた。地震の後、広東省にある広州香江野生動物世界に避難。日本への移送が決まった2010年夏に、検疫などのため雅安碧峰峡基地に移った。この基地から、四川省の省都である成都と上海を経由して、日本にやってきた。

(ライター 中川美帆)

[ケンプラッツ 2011年2月23日掲載]

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