2019年8月26日(月)

日米外交60年の瞬間 第3部

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娘、和子の一言で折れた吉田 サンフランシスコヘ(29)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/3/3 7:00
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1951年7月の日本にとって講和条約は戦争の終結だけでなく、経済の自立に向けた一歩でもあった。講和後をにらみ、漁業や航空などに関する話し合いも進んでいた。

■「挙国」講和で政局騒ぎ

漁業協定は、米国から始まり、カナダ、オーストラリア、フィリピンと交渉し、政治的に難しい問題を含むソ連、韓国、中共は第2グループとされていた。米国はベーリング海でのサケ、カニ漁への日本船の進出に警戒感があった。

吉田茂と麻生和子=毎日新聞社提供

吉田茂と麻生和子=毎日新聞社提供

一方、航空分野では、講和条約草案が条約の効力発生後6カ月以内に国際民間航空機関(ICAO)に参加するとともに、4年以内に連合国側の要請があれば、それぞれの国と航空運送の協定を結ばなければならないとされていた。

日本の空が講和によって戻ってくる。51年8月1日に日本航空株式会社が資本金1億円で誕生したのは、このためである。

社長は日銀OBの柳田誠二郎、会長は藤山コンツェルン2代目の藤山愛一郎である。藤山は後に岸内閣で外相となり、60年の安保改定の主役のひとりとして、再びこの物語に顔を出す。

政治の世界で「挙国態勢」という言葉が出てくるのは、7月の半ばすぎだろうか。吉田の与党である自由党は7月21日の総務会に井口貞夫外務次官を招き、挙国態勢での講和受け入れを協議した。

協議の結果、増田甲子七幹事長、広川弘禅総務会長、吉武恵市政調会長が中心となって共産党を除く各党に条約締結への同調を呼びかけることを決めた。増田、広川、吉武は各党を回って、これを申し入れた。

岡崎勝男官房長官も21日午前の記者会見で「全権団は随員を含めてできるだけ少人数にしたいが、野党代表の加わることは挙国一致という意味で望ましいと思う」と述べた。戦前には繰り返された「挙国一致」。当時でも懐かしいこの言葉が講和の文脈で再び使われた。

挙国一致の背景にあるのは、署名した条約の国会承認である。米国が超党派の首席代表を派遣してくることへの釣り合いもある。講和は外交交渉の段階を卒業し、国内政局の焦点になった。

民主党など野党との交渉は、増田幹事長があたるが、約10日間も迷走する。実は増田は2正面作戦を迫られ、窮地に立ったのだった。成果をあげられぬ増田は吉田の怒りを買う。

増田にとって正面のひとつはいうまでもなく民主党である。民主党は「臨時国会を開いて納得できる説明を聞いた上、全権をおくるかどうかを決める」と回答を留保した。

臨時国会さえ開いてくれれば参加したいという考えだったようだが、広川総務会長は「事前に全権団を決めなければ話に乗れぬ」と主張した。吉田が国会を嫌うのを知った上での物言いである。この広川が増田が突破しなければならぬ、もうひとつの正面だった。

当時、池田勇人蔵相の秘書官だった宮沢喜一は「増田氏は広川総務会長と事毎に仲が悪く、お互いに首相の寵を競いながらも、広川氏がはるかに内ぶところに飛び込んでいたので、増田氏の工作は広川氏の妨害に会った形になっていた」(「東京―ワシントンの密談」)と書き残している。

■一喝された増田幹事長

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

広川は7月30日の総務会で、交渉打ち切りを決議した。増田は31日夜、広川、吉武を伴って箱根で静養中の吉田を訪ね、吉田から一喝される。

それでも吉田は増田に対し「苫米地君(苫米地義三民主党最高委員長)に会って国務大臣になってもらうが、国会は開かない」との表現で増田に助け舟を出すが、増田はそれをそのまま発表してしまい、吉田の怒りは倍増した。

翌8月1日、吉田は箱根の山を下り、東京・目黒の外相官邸に増田、広川、吉武の党三役と岡崎官房長官を集め、交渉の窓口を増田から岡崎に切り替えることにした。「これは党務でなく国務」との判断らしい。

宮沢によれば、これは増田、広川のけんか両成敗だったようだ。箱根で増田らを一喝した吉田に対し、民主党を怒らせれば条約の承認で余計な手間がかかる、と説得したのは、娘の麻生和子だった。

これも宮沢が池田から聞いた話である。いうまでもないが、麻生太郎元首相はその長男である。

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