2019年8月20日(火)

日米外交60年の瞬間 第3部

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池田蔵相、箱根で訪米準備の猛勉強 サンフランシスコヘ(33)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

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2012/3/31 7:00
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1951年8月4日は土曜日だった。吉田茂首相の最側近である池田勇人蔵相は「静養」のため箱根仙石原に赴いた。

箱根小涌谷の三井別荘に吉田もいることを考えての静養先の選定だったが、実際は仕事のためだった。吉田からの宿題のせいである。全権団入りがそれである。吉田はサンフランシスコの後にワシントンに行くつもりだった。

■ドッジとの再会を期待

池田勇人蔵相(左)と握手するジョセフ・ドッジ氏=毎日新聞社提供

池田勇人蔵相(左)と握手するジョセフ・ドッジ氏=毎日新聞社提供

対日講和条約は日本の独立を果たすためであり、同時に結ばれる日米安保条約は文字通り日本の安全を担保する条約である。

これらによって国際社会に復帰するとなると、日本にとって最も大きな存在である米国との経済協力が重要になる。吉田はそのために池田と一万田尚登日銀総裁に全権団に入るよう要請した。

池田は4日、仙石原に舟山正吉次官ら大蔵省首脳を招き、訪米に備えた勉強をした。池田が動けば、大蔵省担当記者も動く。

大物政治家と記者団との関係は、昔もいまも大差はない。やや違う点があるとすれば、吉田を反面教師にしたのか、池田は記者団との関係を大事にした。

だから勉強の成果を踏まえ、5日、仙石原で記者会見し、訪米だけでなく、大蔵省所管の諸問題について幅広く語った。

池田は訪米にまず触れた。

「講和会議の全権としてだけでなく、その後ワシントンに赴き、日本経済の現状と見通し、特に日米経済協力のための金融についての下ごしらえの事情を説明し、米国の協力を求めたい。つまり貿易、金融などについて十分理解を求めたいと思っており、スナイダー財務長官、ドッジ氏、国際復興開発銀行関係者、国際通貨基金関係者などに会いたい」

ドッジは戦後日米関係では著名な存在である。経済分野の人なので、この物語では初めて登場するので、簡単に解説しておく。

ジョセフ・ドッジはGHQ顧問としてドッジラインと呼ばれる日本の財政金融引き締め策をとった人であり、池田とは旧知だった。

国際復興開発銀行とは世界銀行である。世銀の主な仕事は途上国援助であり、要するに池田のいう金融とは、日本にお金を貸してくれという話だった。

日米経済協力とは、日米両国が力を合わせるというよりも、米国の日本に対する経済・金融上の支援が中心だった。そういう時代だった。

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