専門家を総動員できなかった福島原発事故
有馬朗人・元文相に聞く
編集委員 滝 順一
産業界や学界の有志が組織するエネルギー・原子力政策懇談会(会長は有馬朗人・元文相)は先ごろ安倍晋三首相と茂木敏光経済産業相に緊急提言を手渡した。政府に対し「原子力から逃げず、正面から向き合え」と原子力政策の再構築を求めた。有馬氏に提言を出した狙いやエネルギー政策への考えなどを聞いた。

――提言は(1)福島第1原子力発電所の廃炉と被災コミュニティーの復興に全力を尽くせ(2)国際スタンダードにのっとったプロフェッショナルによる安全規制の確立を(3)安全を大前提にしたエネルギーの総合最適政策を確立すべき――の3本柱からなっています。
「エネルギー・原子力政策を議論する大前提にまず日本のエネルギー自給率(約4%)の低さがある。日本は化石燃料資源の多くを中東に依存し、またこのところはロシアから輸入する動きが活発だ。国の安全保障を考えると原子力を含め多様なエネルギーの活用が大事だ。また二酸化炭素(CO2)による地球温暖化の進行を抑えるにも化石燃料への依存拡大は好ましくない」
「原子力の利用においては安全確保が最優先だ。有志で原子力政策の議論を始めたのは東日本大震災の前のことで、その時は中越沖地震の教訓などから日本の原発の耐震性は高いと考えていた。しかし大津波は想定の外だった。1000~5000年に一度起きる自然災害を想定するなら火山の爆発への対処も考えねばならない。耐震も原子炉建屋だけでなく送電塔をはじめ周辺施設まで配慮しなくてはならない」
「日本の再生可能エネルギーは総発電量の約10%、水力を除くと2%程度にすぎない。もっと伸ばさなくてはならない。ドイツの再生エネ発電量は約1000億キロワット時だが、これは日本の総発電量(約1兆キロワット時)の1割弱だ。私個人はドイツの2倍程度を目指す必要があると考えている。ドイツの先行例をみると、風力は気象条件による供給の変動が大きいので、その点を気をつけて導入を進めなければならないし、太陽電池の普及に伴い国産製品が選ばれやすい環境づくりに工夫していくことも考えなくてはいけない」
――再生エネを拡大しても原子力は手放せないという現実に向き合えというのが提言の趣旨ですね。
「ベース電源として必要だ。世界各国で原発導入が進む現実をみても、正面から向き合うことが大事だ」
――提言の第一に福島の復興をあげ、廃炉技術に関する国際研究開発センターの設置を主張していますね。
「廃炉に取り組み溶融燃料を処分する試みは長い時間がかかり国際的にも関心が高い。世界の研究者が集まってロボットや放射性廃棄物の研究に取り組むセンターをつくるべきだ」
「原子力利用を進める上で最も大事なことは廃棄物の問題への対処だ。私は原子力の推進派だが、この問題が解決できないなら原子力利用には反対せざるをえない。世界中で原発を使うならゴミを始末する方法がなくてはならない。例えば中性子線を廃棄物にあてて放射性核種を寿命を短いものに変換することは原理的に可能だ。効率よく核種変換し処分を容易にする技術の開発にも取り組んでもらいたい」
――福島事故は何が問題だったと考えますか。
「菅直人元首相に同情するところがある。専門家を総動員できなかった。私が小渕政権で文科相と科学技術庁長官を兼務していた1999年に、核燃料加工会社のJCOの工場(茨城県東海村)で臨界事故が起きた。科技庁長官を中心に対策委員会を立ち上げ当時の原子力安全委員会や日本原子力研究所、大学から専門家を集め総動員で対応を考えた。(臨界反応が起きている容器から)水を抜くアイデアを出したのは、そのころ原研にいた田中俊一さん(現原子力規制委員長)だった。JCO職員が決死隊をつくって水抜きをした結果、24時間以内で危険な状態から抜け出した」
「福島事故においては旧原子力安全・保安院に専門家が少なく(文部科学省傘下の)大学などの助力を得られなかったようだ。首相は自らのつてで専門家を集めた。国が一丸となった態勢をつくれなかった。またJCOに比べ東京電力は巨大な企業で政府の介入をそうやすやすとは許さなかったと思う。東電は巨大な組織であるがためか、柏崎・刈羽原発での地震の教訓を生かせなかった。原子力の良さと怖さを知った人が責任ある地位で最善を尽くせるようにすることが原子力を安全に利用する上で重要だ」
――ひとたび深刻な事故が起きれば決死の覚悟で対応にあたらねばなりませんが、そうした態勢を日本でつくれるのか疑問もあります。
「原子力で成功している米仏2国はともに核兵器の保有国だ。テロの問題ひとつとっても平和産業としての原子力利用は難しさがある。原子力には国家が深く関与せざるをえない面がある。プルトニウムの管理や廃棄物処分など民間にだけまかせていてよいのかと思う」
――福島事故を契機に科学者のありようも問われていますね。
「社会の雰囲気に迎合して沈黙する科学者が増えた。原子力ムラと言われようときちんと声をあげる必要がある。原子力規制委員会は(原子力を巡る政治的な)色がつかないよう苦労しているようだが、様々な意見を聞く耳を持たないといけない。ムラの人間であろうとオープンに議論してほしい」
取材を終えて
有馬氏が代表の懇談会はもともと、電力各社トップが主要メンバーの「原子力ルネッサンス懇談会」として発足した。福島事故を経て、議題を変え電力が後ろに下がる形で議論を続け提言をまとめた経緯がある。提言の基調は原発推進だが、原子力をこれまで通りに進めていくことに対し、有馬氏自身は抵抗感をもっているように見受けられた。とくに放射性廃棄物の処分法が長らく未確定のままであることへの不信は強い。
有馬氏が科技庁長官などの在職中に起きたJCO臨界事故は、企業が危険な核燃料原料を扱うことへの安全意識を欠き、政府にもそれをチェックする体制がなかったことを露呈した。2人が亡くなり多数の住民が被曝(ひばく)した事故は重大だが、それでも何とか切り抜けることができた。JCO事故後の省庁再編成が原子力安全の仕組みを強めるのではなく、むしろ弱める方向に働いたとみられることは改めて検証の必要があるだろう。
関連企業・業界