2019年2月16日(土)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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外相就任、日韓国交正常化成し遂げる 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(4)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2012/8/26 7:00
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1960年(昭和35年)7月、岸信介内閣に代わって池田勇人内閣が発足した。椎名悦三郎は岸内閣の官房長官から自民党政調会長に転じた。当選2回生の自民党3役入りは異例である。椎名が岸から池田へのバトンタッチに少なからぬ役割を果たしたことへの論功行賞であった。幹事長は池田派長老で衆議院議長や副総理を歴任した益谷秀次、総務会長は佐藤派最高幹部の保利茂であった。椎名は岸派を代表して党三役になった。

■岸派分裂、川島派に参加

椎名政調会長(右)と福田赳夫(左)

椎名政調会長(右)と福田赳夫(左)

自民党の政務調査会は椎名から見ると、役所の説明を聞くだけの貧弱な組織であった。もっと資金を投入して独自の調査機能や情報収集機能を持たないと近代政党としての政策形成能力を持つことは出来ないとして、後藤新平流の改革構想を練ったが、椎名の政調会長在任期間は短かった。同年10月に池田首相は衆議院を解散し、総選挙で自民党は圧勝した。この選挙で椎名は岩手県第2区でまたしても最下位当選だった。

選挙後の内閣改造で椎名は通産大臣に就任した。商工次官を退官して以来、15年ぶりの古巣復帰である。官僚出身政治家が古巣の大臣になるのは「故郷に錦を飾る」ような晴れがましいことである。記者団にも「ほかの大臣になったら、まるでヨメに行った娘が実家の前を素通りしてよその家に入っていくようなことになるからナ。私の次官時代に課長だった徳永(久次)君がいまは次官で助けてくれる。まア、知った人も多いしネ」と喜んでいた。

椎名は通産大臣在任中、IMF8条国移行問題、開放経済体制推進などに取り組んだ。しかし、国会では野党から選挙違反問題を追及されて窮地に立った。椎名は選挙に弱く、これまで3回連続の最下位当選であり、しかも陣営には選挙の素人が多く、選挙のたびに違反者を出していた。特に昭和33年の選挙では総括責任者が買収容疑で追及され、雲隠れして全国に指名手配されていた。

国会で野党は椎名が容疑者をどこかにかくまっているのではないかと厳しく追及した。椎名は自分の関知しないことであると突っぱねたが、この容疑者は椎名の知人である愛知県の企業経営者の社宅にかくまわれていた。いつまでも選挙違反事件を引きずっていては政治活動にも支障が出ると判断し、昭和36年6月の内閣改造で通産大臣を退任した際に、容疑者に自首を勧めてこの問題に区切りをつけた。最初の通産大臣在任について椎名は「古巣に戻ったにしては何だか全然他人の家に入ったような気がしてネ。昔と比べて余りにも通産行政が様変わりしていたからな」と振り返っている。

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