日米外交60年の瞬間 第3部

フォローする

緊迫の停戦予備会談 サンフランシスコへ(21)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/1/7 7:00
保存
共有
印刷
その他

交渉をめぐる報道には、いつの時代も変わらぬ特徴がある。前触れ報道が大きく、実際の交渉が始まると、そうはいかなくなる。直ちには合意が成立しないから、交渉者の口は硬くなり、ニュースは出なくなり、報道は地味になる。

朝鮮戦争の停戦交渉もそうだった。前触れでは書くことがたくさんあった。

■完全武装の兵に囲まれ「協調的」会談

予備交渉が終わった1951年7月8日夜、韓国に駐留する米第8軍司令部は、開城(ケソン)での正式交渉を10日から開始することで共産側と意見が一致したと発表した。同日午後10時、東京のGHQ渉外局は、8日に行われた予備交渉についてやや詳しい発表をした。

簡潔ななかに臨場感がある発表である。

それによれば、A・Jキニー大佐、J・Cマレー大佐、李寿栄中佐らからなる国連軍連絡使節団が8日午前9時、ヘリコプターで臨津江(イムジン河)を渡り、9時22分、開城に着き、ジープで会談場所に案内された。会談は開城市の中心から北方にある館門洞の長さ18フィート、幅15フィートの部屋で行われた。

ここで注釈をつければ、1フィートは約30センチだから、メートルに換算すれば、長さ約6メートル、幅約3メートルであり、小さな部屋である。

発表文に戻る。共産側使節団は3人の将校で構成され、北朝鮮軍の張大佐、金大佐、中共(ママ)軍の蔡中佐だった。親任状を交換した後、両軍代表は第1回会議に関する準備について話し合った。第1回会議は予備会談と同じ場所で7月10日に開かれる。

発表文はこれに続いて、第1回会議に出席する双方の代表者の氏名を示している。

国連代表は、C・ターナー・ジョイ米海軍中将、L・クレーギー米空軍少将、H・Iホッジス米陸軍少将、アーレー・バーク米海軍少将、白善●(火へんに華)韓国陸軍少将。共産側は南日北朝鮮軍大将、李相召同少将、トウ華中共(ママ)軍将軍、謝万中共軍将軍となっている。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

白は朝鮮戦争史に残る人物であり、アーレー・バークは日本の海上自衛隊の育ての親として知られる。海軍大将になり、長く作戦部長を務めた。こうした名前が朝鮮戦争の第1回会談に関する発表文にあるのを知る。それが歴史の面白さだろう。

発表文によれば、予備会談での交渉は故障なく行われ、国連軍側の連絡将校団は会談終了後、ヘリコプターで帰還、8日午後4時40分ごろ●(さんずいに文)山に着陸した。

なお会談は協調裏に終始した、と発表文にはある。しかし京城(ソウル)でヘリコプターの飛行士に取材したUP通信の記者は、飛行士が見た光景を詳細に伝えている。

国連軍使節一行はまったく武装していなかったが、着陸地周辺には完全武装の中共、北朝鮮軍30ないし40人が取り巻いていた。中共軍代表の2人はソ連製ジープ4台、米国製ジープ1台を持っていた。共産側一行には映画カメラマン1人、写真技師2人がいた。また少なくとも2人の女性が交じっていた。一行は制服を着ていたが、明らかに北朝鮮軍と認められる2人は肩章に二つ星をつけていた。共産軍兵士のうち少なくとも8人は米国製小銃を持っていた。

■米ソ間でも動き

朝鮮半島での国連軍、共産軍の予備会談とほほ同じころ、米ソ間でも動きがあった。モスクワ駐在のカーク米大使が7日、ヴィシンスキー・ソ連外相を訪問し、トルーマン大統領からシヴェルニク・ソ連最高会議幹部会議長あてのメッセージを手渡した。

ワシントンで発表された要旨は次のようなものだった。

 もしソ連国民が米国民および米政府の平和政策を知れば、戦争は起こらないだろう。最近数年間に起こった不幸な事件は、各国民の間の考え方と情報の友好的交換が阻害されている限りは、各国間の正常な外交交渉はほとんど無益であることを示している。平和目的のために最大の希望は、各人の心のなかに深く根ざしている平和と友愛の希望にある。米ソ両国民は各人の経験から戦争の惨禍と人類の歴史始まって以来最も恐ろしい兵器を使って行われる将来の戦争を憎悪していることを知っている。平和は国民の手にあるのが最も安全であり、われわれは平和を国民の手に握らせることができるようあらゆる努力をすることによってのみ、この目的を達成できる。

「人類の歴史始まって以来最も恐ろしい兵器」とは、いうまでもなく核兵器である。トルーマンはそれを使うよう命令した歴史上ただひとりの政治家である。

第1次大戦で欧州大陸に陸軍の一員として戦ったトルーマンは、地上戦のむごたらしさを経験しており、それを避けるために、ヒロシマ、ナガサキを命令したとされるが、朝鮮ではそれを使うこといとわずと考えたマッカーサーを罷免し、停戦交渉の時機をにらんで平和メッセージを送る。

政治家心理の複雑さである。

日米外交60年の瞬間をMyニュースでまとめ読み
フォローする

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ連載トップ