2019年8月26日(月)

日米外交60年の瞬間 第3部

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ダレスとマッカーサーのすれ違い サンフランシスコへ(2)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/8/27 12:44
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この物語の第1部、2部では、ダレスとマッカーサーが重要な役割を演じた。第3部でも、しばらくの間、それが続く。日本占領を担当したマッカーサー、独立のための講和条約交渉にあたったダレスは、ともに共和党員でありながら、民主党のトルーマン大統領に仕えた。

■象徴的な到着遅れ

マッカーサーはトルーマン政権内では毛嫌いされていたが、ダレスとの人間関係の詳細はわからない。ふたりとも保守的な考えを持っており、発言を聴く限り、朝鮮戦争をめぐる態度にも大きな差があるようには見えない。

しかし後から振り返って象徴的な意味があるように思えるのは、ダレスの東京到着の遅れである。当初の予定では1951年4月15日午後9時半に羽田に着く予定だったが、実際には16日午後になった。

マッカーサーの羽田発が16日朝だったから、ダレスが予定通りに到着していれば、ふたりがともに東京の土を踏んでいる時間が10時間ほどあった。実際には、そうならなかった。

いまでも外交の世界では、ある国に駐在する大使が交代する場合、前任者が離任してから、新任者はその国の土を踏む。民間企業の支店長交代とは違い、任地でふたりが引き継ぎをすることはない。国の代表が同時に2人いては相手国に対して外交慣例上まずいらしい。

ダレスの到着の遅れは、そのような意味を込めたものではなかったようだ。が、日本占領を象徴する人物が去り、そこでひとつの時代が終わり、講和・独立の時代に入る、当時の日米関係の変化をはからずも示しているようにもみえてくる。

ふたりのすれ違いが東京で話題になっていた15日、朝鮮戦線では米空軍が激しい爆撃をしていた。第5空軍司令部の発表によれば、642機が展開し、北朝鮮の38都市を攻撃し、共産側部隊と補給線に打撃を与えた。

またベトナムのサイゴン(現ホーチミン)発の米軍情報によれば、中共(ママ)が満州(ママ)でソ連製航空機を集めて米戦線を背後から攻撃すれば、米軍参謀部は満州を攻撃しないとの見解を変えるかもしれないとほのめかしたという。当時の中共、ソ連に対する抑止が狙いだが、トルーマンへの反旗とも受け取れる。マッカーサー路線でもあり、現場の声でもあったのだろう。

■時代の回転音

そのマッカーサーには、帰国したら時の人になるとの思いがあった。14日ワシントン発AFP電によれば、マッカーサーは米上院軍事委員会の証言要請を拒否した。理由がふるっている。

「わたしは両院合同委員会で意見を述べるつもりだから……」。いかにも帝王らしい。後に触れるが、その演説でマッカーサーは歴史に刻まれる言葉を残す。

それもそのはずである。米共和党内には、マッカーサーを副大統領にとの声もあった。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

インディアナ州選出のケープハート上院議員が1952年の大統領選挙ではタフト上院議員を大統領候補、マッカーサーを副大統領候補にと言明し、それがニュースになっていた。しかし副大統領候補ではマッカーサー自身は不満だっただろう。

やはり14日だが、こちらはロンドン時間の午後5時ごろ、世界は老練な政治家を失った。英国のアーネスト・ベヴィン前外相である。1945年以来、労働党のアトリー内閣の外相を務めた。3月9日、健康上の理由で外相を辞したが、亡くなったのは外相官邸だった。

70歳だから当時の年齢では若くはない。英国政治史に残る政治家だった。教育は小学校で受けただけ。いわばたたき上げの労働党の重鎮だった。

第2次世界大戦を指揮したチャーチルが1945年7月の総選挙で労働党に破れ、クレメント・アトリーが政権に就いた時に、外相になったのがベヴィンである。

英外交史の専門家である細谷雄一慶大教授によれば、ベヴィンを外相にと勧めたのが前任者つまりチャーチル保守党内閣の外相だったアンソニー・イーデンだった。ベヴィンは労働者出身、イーデンは貴族出身だったが、ふたりには階級を超えた友情があった。

第2部で触れたように、日本では3月10日、駐米大使まで上り詰めた外交官出身で、外相、首相を務めた幣原喜重郎衆院議長が78歳で亡くなっている。

大戦直後の世界を動かした人たちが表舞台から消える。時代がぐるりと音を立てて回転する時期だったように思える。日本も当然、そのなかにあった。

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