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愛について君は何を知っている

ホンダの「ワイガヤ」(3)

 ホンダでエアバッグを開発した小林三郎氏(現在は中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授、元・ホンダ 経営企画部長)が、ホンダ流のアプローチを紹介しつつイノベーションの本質に迫る本連載。前々回からはイノベーションを加速する仕掛けの一つである「ワイガヤ」について解説している。今回と次回は、その実践編をお伝えする。(日経ものづくり編集部)

筆者は、講演や授業などで「5秒で答えてください」と断ってから、必ず聞くことが3つある。

(1)あなたの会社(組織)の存在意義は

(2)愛とは何か

(3)あなたの人生の目的は何か

これがワイガヤの基本なのである。日経ものづくり誌の記者が本連載のことで最初に来たとき、「日経ものづくりは何のためにあるのか。5秒で答えてください」と聞いてみた。何と答えたかは正確には覚えていない。たぶん、「製造業の課題解決と技術革新を支援する」うんぬん、というような内容だったと思う。

もう読者の皆さんには想像がつくと思うが、そんな答えは駄目である。本連載の『俺が死ねと言ったなら ホンダの哲学「自律、信頼、平等」(前編)』などで何度も強調したように、既に文書になっているような、使い回しが利く言葉では心に響かない。自分の会社や組織の存在意義くらい、自分の魂の言葉で語れるようにしなければ話は始まらないのだ。

ホンダでエアバッグを開発した小林三郎氏(現在は中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授、元・ホンダ 経営企画部長)。 (写真:栗原克己)

本稿は日経ものづくりでの連載を再構成したものなので同誌を例にとって説明したが、会社や組織の存在意義を語れる人は、実は全くといっていいほどいない。そもそも今の会社は、そんなことは求めていない。成果主義(多くの場合、どれだけもうけたかが成果だ)の名の下に社員には「ミッション」が課せられ、そのミッションをいかに効率的に処理したかによって評価される。会社の存在意義などを持ち出そうものなら、「余計なことを言うな」と上司からにらまれるのがオチだ。会社や組織の存在意義といった本質や根本を考える価値観は根こそぎ刈り取られてしまっている。

これは、一般社員だけではなく課長や部長も同様である。それどころか、社長をはじめとする経営陣までも会社の存在意義を考えていない。このため、会社は哲学をなくし、根無し草のように利益を求めて漂流することになる。しかし、そんな会社が利益を上げられるだろうか。基本に立ち返り、自分の会社の存在意義、つまりどんな新しい価値をお客様に提供して喜んでもらうかをしっかり考えるべきである。

ワイガヤは、常にここからスタートする。ホンダでは、どんなテーマでワイガヤをするときにも、必ずホンダの存在意義まで立ち返って考えるのである。

愛冷蔵庫と愛車

2番目の質問は「愛とは何か」である。これは、筆者が入社してすぐ、2回目のワイガヤで実際にテーマとなったものだ。当時の本田技術研究所の幹部が突然、大まじめに「愛とは何か」と我々新米技術者に聞いてきた。それでワイガヤのお題になった。読者の皆さんは、「クルマの開発と愛に何の関係があるのか」と思うだろう。筆者もそう思った。しかも若い男ばかりが7~8人、顔を突き合わせて語る状況は、とてもロマンチックとはいえない。

このワイガヤには説明が必要だろう。本連載の前々回〔ホンダの「ワイガヤ」(1)〕で、新米技術者向けの訓練編があることに触れた。愛についてのワイガヤは、訓練編の典型である。筆者が体験したそのワイガヤには本田技術研究所の安全部隊から10数人の技術者が参加し、そのほぼ半数がワイガヤ初心者の新米だった。このため、筆者を含めた若手と指南役の先輩技術者が本隊から離れ、初日は別室で愛について議論したのだ[注1]

1日といっても、男だけで愛について語るには長い。最初はたわいない冗談や、何でこんなことをやるのかといった不満などを話す。そして、愛とは「家族を大切にする心」とか「人を思いやること」という意見が出てくる。言っている本人も「そんなんじゃ駄目だ」と、よく分かっている。どこかで聞いた内容、つまり借り物の言葉だからだ。そのうちに、よく見聞きする愛という言葉について、自分たちは何も分かっていないことに気付く。

ワイガヤでは多くの場合、その内容を研究所の幹部に報告しなければならない。新車開発時のコンセプトづくりなど、逆に報告をまとめるためにワイガヤを行うこともある。すぐに結論が出るようなテーマではないので結論は必ずしも必要ないが、その場合は議論の内容を報告することが求められる。

最悪なのは、報告を終えたときに「それで?」と言われることだ。これは、報告内容が熟慮されておらず、議論も深まっていないと判断され、「さらに先の話を聞かせてくれ」ということを意味する。もちろん、報告すべき内容はすべて話し、その先はないので、「君たちはその程度か」と言われているような気になる。報告者としては相当つらい。愛について話しながら、そんな事態も考えてしまう。

そんなとき、誰かがスッとつぶやいた。「クルマは愛車っていうよな。でも、愛冷蔵庫とはいわない」

その瞬間、小さな何かがみんなの心に引っ掛かった。

「おい、ハードウエアには、前に"愛"が付く物と付かない物があるんじゃないか」

「クルマ以外にも、ギターやカメラは愛機っていうね。これって技術の分野やレベルの高さとは関係ない。愛犬、愛妻、愛唱歌ともいうから、想いの深さと関係している」。こうして、一気に議論が加速し始めた。

[注1] 本隊は、安全に関するテーマを別に議論している。ただし、訓練編のワイガヤは1日だけで、2日目からは本隊に合流して、安全に関する議論に参加するという段取りだ。

そして最終的に我々は、次のような共通認識にたどり着いた。冷蔵庫の開発で重視すべきは機能/品質/性能といった定量化できるものだが、クルマはそれだけではない。定量化できない、お客様の心を揺さぶるような極めて情緒的な価値が必要になるのだ。それによってクルマは愛車になる。「だから、冷蔵庫と同じようにクルマを開発しては駄目だ」。

愛は、クルマの開発になくてはならないものだったのである(図1)。

図1 クルマは「愛」が付くハードウエア

研究所の幹部には、そうした議論の内容を報告した。すると、「ファ!ファ!ファ! やっとここまで来たか」と言い残して、その場を立ち去ってしまった。この雰囲気はなかなか伝わりにくいかもしれないが、それは最大級の褒め言葉だったのだ。

冷蔵庫の開発技術者には別の視点もあるだろうが、この認識は、若かった我々にとって、その後にさまざまな技術開発に取り組む際の座標軸になった。技術開発は、多くの実験を通じて膨大な定量データを扱う。ややもすると、その数字を良くすることだけを考えるようになる。そこで立ち止まって考えるのだ。クルマには定量化できない愛のような価値が必要なのだ、と。

特にイノベーションは、愛と共通する。2つとも論理を超えている点だ。人は、ほれた理由を論理的に説明できないし、イノベーションも論理を超えないと、未知の領域に到達できない。

普通に考えれば、愛について何時間も語るワイガヤは全くの無駄、ひいき目に見ても非効率の極みに思える。しかし、このワイガヤは筆者が技術者としてキャリアを積んでいく上で大きな財産になった。その効果は計り知れない。

おやじ[注2]は、「本田技術研究所は技術の研究をする所ではない。人間の研究をする所だ」と語っているが、その真意がなかなか理解されていない。実際は、とても単純で文字通りの意味である。研究所の技術者が第1にすべきことは、お客様の心を研究し、お客様が求める将来価値を見つけることだ。それが分かったら、手段である技術を使って、その将来価値を実現すればよい。だから、技術ではなく「人間の研究をする所」なのである。

そして、人間の研究をする以上、技術者は自律した人格を備えていなければならない。これが3番目の質問をする理由だ。自分が生きる目的、つまりは最も重視する価値について考えていない人間に、お客様の将来価値が分かるわけがない。 (次回は8月9日に掲載)

[注2] おやじとは、ホンダの創業者である本田宗一郎氏のこと。我々は、敬意と親しみを込めて「おやじ」や「おとっつぁん」などと呼んでいる。
小林三郎(こばやし・さぶろう)
 中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授。1945年東京都生まれ。1968年早稲田大学理工学部卒業。1970年米University of California,Berkeley校工学部修士課程修了。1971年に本田技術研究所に入社。16年間に及ぶ研究の成果として、1987年に日本初のSRSエアバッグの開発・量産・市販に成功。2000年にはホンダの経営企画部長に就任。2005年12月に退職後、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授を経て、2010年4月から現職。2012年7月30日に「ホンダ イノベーションの神髄」(日経BP社)を上梓。

[日経ものづくり2010年9月号の記事を基に再構成]

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