2019年8月25日(日)

日米外交60年の瞬間 第3部

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東京・ワシントンで情報発信合戦 サンフランシスコへ(6)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/9/24 12:00
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トルーマン政権が冷たい戦争を戦っていた相手であるソ連の共産党機関紙「プラウダ」がマッカーサー解職に初めて触れたのは、1951年4月18日付の紙面だった。

「朝鮮における戦争の責任と新しい世界大戦を準備している責任を転嫁しようとするトルーマン大統領の試みは無駄である。マッカーサー元帥の解職が米国の外交政策が経験しつつある大きな危機を反映するものであることについて異論はあり得ない」。

これがプラウダ論評の要点である。意味がとりにくい。

正面からのトルーマン批判ではなく、「米外交の危機」を指摘する内容はいかなる底意があるのか、わかりにくい。あるいは主戦論のイメージがあるマッカーサー解職を歓迎しているのか。米政権に内部対立があるとすれば、ソ連には歓迎すべきニュースだったろう。それをそのまま書けないから、わかりにくい文章になったのだろう。

■真夜中のワシントンでも1万2千人

そのマッカーサーがワシントンに着いたのは、19日午前0時31分(日本時間19日午後2時31分)だった。真夜中だというのに、議会首脳や、軍高官をはじめ、12000人が出迎えた。

当時はセキュリティーを気にする必要もなかったのだろう、専用機「バターン号」がワシントンナショナル空港に着陸し、マッカーサー本人と夫人ら家族がタラップを降りると、出迎えの高官たちに囲まれただけでなく、群衆も押し寄せた。午前0時43分、マッカーサーの一行は宿舎のスタットラー・ホテルへ向かった。

いまはキャピタル・ヒルトンと呼ばれ、ワシントンの目ぬき通りKストリートにある。60年前と同じ場所である。

マッカーサーが到着したワシントンの空港は、当時、ワシントン・ナショナル空港と呼ばれた。この空港は、ワシントン市内からポトマック川をわたったバージニア州アーリントンにいまもある。1980年代に大統領を務めたロナルド・レーガンにちなみ、ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港が現在の正式名称だ。

いまワシントンには、第2の空港がある。日本から全日空やユナイテッド航空機でワシントンに行くときに到着するこの空港の名前は、ワシントン・ダレス国際空港である。

ケネディ大統領によって1962年11月に開港宣言された当時の名称は「ダレス国際空港」だった。この物語に登場するジョン・フォスター・ダレスにちなんだ名前である。その名前が日米の首都をつなぐ空港に使われているのだから、ダレスと日米関係との縁のようにも思える。

1984年に現在のように、名称にワシントンをかぶせるようになったのは、おそらく単にダレス国際空港ではテキサス州のダラスと紛らわしかったのだろう。そのダラスはケネディが1年後の63年11月に暗殺されたところと聞くと、これもまた因縁話めいてくる。

■ダレスの東京会見

ダレスは、マッカーサーがワシントンに到着する3時間前の東京時間19日午前11時半から記者会見し、声明を発表するとともに、質問に答えた。会見場所は「放送会館」と記録されている。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

当時、内幸町にあったNHK東京放送会館である。いま日比谷シティがあるあたりで、一部をGHQが使っていた。第一生命ビルを使っていたGHQの本部からも近い。

ダレスは声明と会見発言でそれぞれ違う観点からのメッセージを発信した。ともに世界が注目する内容だった。

声明では日本を含む太平洋の安全保障、会見発言は対日講和に絞った内容だった。2つは後に触れるトルーマン声明の解説めいた位置付けになっているわけだが、ここではダレス声明から入る。

ダレスは米、オーストラリア、ニュージーランドによる太平洋協定が「日本との平和関係の再建と関連して」つくられる、と述べた。既に締結されていた米国とフィリピンとの共同防衛協定に加え、日米、および米、豪州、ニュージーランドの協定の3本柱によって太平洋の安全保障を固めようとする意図を鮮明にしたわけである。

声明は米英関係にも言及している。この物語でも触れた対日講和をめぐる米英間のさざ波を否定する意図であり、「対日講和案は英国との協力により作成された」と述べている。

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