2019年8月21日(水)

日米外交60年の瞬間 第3部

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日経の国際化が始まった日 サンフランシスコへ(41)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

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2012/5/26 7:01
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1951年8月の日本を再現する作業を進めてきているが、いま振り返って驚くのは、サンフランシスコでの講和に対する関心の高さである。占領から独立に切り替わるのだから、講和は外交ニュースではあっても、それにとどまらない意味を持った。

統治の仕組みが変わり、生活も変わる。戦争が国の総力を挙げた営みであるのと同様に、講和もまた国の基本に関わる出来事である。当時の新聞をみると、それを待つ興奮が読みとれる。

■特派員派遣の4段抜き社告に透ける興奮

講和会議に特派された日本経済新聞社の大軒順三・編集局次長

講和会議に特派された日本経済新聞社の大軒順三・編集局次長

地味な経済新聞だった日経の紙面にも、それがあった。意外にみえて意外ではないのだが、日経はもともと国際的な感覚のある新聞だった。戦前の名称は「中外商業新報」であり、「中外」とは、国の内と外だから、いまふうにいえば、国内・国際の意味だろう。

8月16日付朝刊1面に4段抜きの目立つ囲み記事風の社告が掲載されている。見出しは「講和会議へ特派員を派遣」。外国に記者をおくるのは、当時はそれほどのことだった。

派遣されるのはふたりの記者であり、ひとりは編集局次長・大軒順三、もうひとりは外報部次長・木原健男だった。木原は朝鮮戦争の休戦交渉に派遣されたことを既に紹介した。外報部のスター記者である。大軒は後に社長に昇進する、当時の編集局幹部である。

ともに顔写真付きで載っている。社告の文章が当時の雰囲気を伝えて面白い。長くないので全文を紹介する。

「九月上旬サンフランシスコで開催される対日講和会議は、八千万国民が長い間待望していた独立への門出であると同時に、これを契機として日本が国際社会に復帰し、経済的にも多彩な活動期に入る重要な意味をもつものであります。よってわが社は編集局次長大軒順三、外報部次長木原健男の両記者を特派して取材することに致しました。両特派員は十六日午後三時、パン・アメリカン機で羽田空港を出発、一路サンフランシスコに向かいます。講和終了後もワシントン、ニューヨークを訪問、日米経済協力など当面の重要課題について米国朝野の意向を打診し、これをめぐる日本政府代表の動きについても詳細に報道することになっています」

時代を感じさせる文章である。

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