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政客列伝 保利茂(1901~1979)

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佐藤長期政権を要職で支える 「いぶし銀の調整役」保利茂(6)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(3/3ページ)
2011/10/23 7:00
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■佐藤首相と息ピタリ

次の目標は同年11月の佐藤訪米の成功である。昭和42年の佐藤・ジョンソン会談で沖縄については「両3年内にメドをつける」ことで合意しており、佐藤首相はニクソン大統領との会談で沖縄返還の時期確定をめざした。沖縄返還の条件については昭和43年の自民党総裁選でそれまで外相を務めていた三木が「核抜き本土並み」を主張し、佐藤が「そのような考えの人を外相にしたのは私の不明」と反論した経緯があった。佐藤は国会審議でも核抜き本土並みかどうか態度を明らかにしなかった。

大学立法問題で政府側と話し合う自民党総務懇談会。左から坂田文相、荒木万寿夫国家公安委員長、保利官房長官、手前は田中幹事長=毎日新聞社提供

大学立法問題で政府側と話し合う自民党総務懇談会。左から坂田文相、荒木万寿夫国家公安委員長、保利官房長官、手前は田中幹事長=毎日新聞社提供

昭和44年1月、一時帰国した下田武三駐米大使は佐藤首相に「米国務省の態度は硬い。核抜き本土並みでは交渉はまとまらないかもしれません」と報告した。佐藤は「まとまらんでもまとまっても核抜き本土並みでいかなければダメだ」と強く指示した。下田は「成否は別にして最善を尽くします」と答えた。同席した保利官房長官は「下田さん、どうか頑張ってください」と送り出した。沖縄返還の成否を懸けた佐藤訪米に対して一部の過激派が「佐藤訪米阻止」を叫んだが、すでに大学紛争も沈静化し始めており、たいした騒ぎにはならなかった。

佐藤首相の訪米に際して保利官房長官は首相秘書官の楠田実に1枚のメモを渡した。そこには首相帰国後の臨時国会召集、衆議院解散、総選挙の告示と投票日の日程が書かれてあった。保利は楠田に「日米首脳会談が成功したら、このメモを総理に見せて直ちに電話で連絡してくれ」と言い含めた。佐藤・ニクソン会談は「72年沖縄返還、核抜き本土並み」で合意した。会談の成功を受けて佐藤首相は年内総選挙を決断した。佐藤と保利の息はピタリと合っていた。

1969年(昭和44年)12月27日投票の総選挙で自民党は保守系無所属の追加公認を入れて303議席を獲得して圧勝し、社会党は惨敗した。自民党の勝因は72年沖縄返還と大学紛争の沈静化である。一部で懸念された「70年安保」危機も政局の安定によって平穏に推移し、大阪万博が盛況を極め、世を挙げて経済大国を謳歌する太平ムード一色であった。保利は後に「この辺まではわれながら実に切れ味がよかったと思っている」と述べている。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 保利茂著「戦後政治の覚書」(75年毎日新聞社)
 岸本弘一著「一誠の道」(81年毎日新聞社)
 保利茂伝刊行委員会編「追想保利茂」(85年同刊行委員会)
 山田栄三著「正伝佐藤栄作」(上下巻=88年新潮社)

※1、2枚目の写真は「一誠の道―保利茂写真譜」(80年保利茂伝刊行委員会)より

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