2019年8月26日(月)

日米外交60年の瞬間 第3部

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日本の「心構え」説いた日経 サンフランシスコへ(50)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/7/28 7:00
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1951年9月4日付日経社説を続ける。直接その言葉を使っているわけではないが、強調されたのは、自立の精神を持てとする日本国民に向けたメッセージだった。それは講和反対ではなかった。

■「日本をどうするかが日本の問題」

「今度の平和条約にもわが国の一部には反対がある。共産主義者は別問題としても『全面講和、中立維持、軍事基地反対』の平和三原則を掲げて社会党、労働組合あるいは進歩主義者の一部などから反対が起こっている。是非の判定は後世の歴史家にまつとしても、いつの場合にもわれわれに信念がなくてはなるまい」

単独講和に反対する大学生のデモ行進=毎日新聞社提供

単独講和に反対する大学生のデモ行進=毎日新聞社提供

社説はこう書き、反対論に対する明確な批判を避けつつ続ける。

「頼むは自分だけであるという心構えができたとき、ちょうちん行列を行わずとも、また弔旗を掲げずとも、講和会議に臨むわれわれの覚悟は十分といえる」

ちょうちん行列や弔旗はポーツマス講和反対派の行動だったから、述べているのは、反対論に対する反対論である。講和条約支持のレトリックである。

社説執筆者は、この種のレトリックが得意らしく、こんな一文がある。

「講和後のわが国がどうなるかは外国の問題である」

読者はどきりとする。なぜ講和後の日本がどうなるかが日本ではなく外国の問題なのか。

記者から挑戦された読者はそれに続く次の一文にうなずかされる。

「われわれの問題は講和後のわが国をどうするかにある」

この問いかけはいまも通用する。

日本自身が国際的な安全保障に関与せず、もっぱら対米関係のなかでの「自立」を考える。その結果が、例えば集団的自衛権の行使は禁じられているとする解釈をとり続ける歴代日本政府の姿である。

■「被告席ではなく試験台」

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

社説はサンフランシスコに向かうに当たってアチソン米国務長官が発した声明に触れる。アチソンはここで「この条約は自由世界の平和な一員となりたいとの日本の希望の真実性を世界に証明する機会を与えている」と述べた。

アチソン声明を引いたうえで社説は、日本の将来の行動を「公正な立場から判断して」もらいたいとする。

講和会議にはインド、ビルマ、ユーゴスラビアが欠席するとされていた。社説は特にインドの欠席を残念とし、全体を次のように結ぶ。新聞の社説がいまに比べてはるかに言論の華だった時代らしい格調を感じさせる。

「参加51カ国の前にわが国は被告席につくのではない。むしろ世界各国注視のうちに試験台に立つと考えていい。そしてわれわれは試験台に立つことを、恐れもしなければ避けようとするものでもない」

■吉田、サンフランシスコ到着

この社説を掲載した新聞が輪転機にかけられて印刷されていたころである。吉田茂首相がサンフランシスコに着いた。

9月2日午前11時(日本時間3日午前4時)である。空港にはシーボルト大使、アリソン公使、ジョンソン北東アジア課次長、シモンズ儀典課長ら米国務省員や在米日系人らが多数出迎えた。

サンフランシスコ会議の主役、吉田が登場した。試験台に立つために。

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