2019年8月21日(水)

日米外交60年の瞬間 第3部

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鳩山倒れ、吉田は続投宣言 サンフランシスコへ(15)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/11/26 7:01
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朝鮮動乱と当時呼ばれていた朝鮮戦争は、日本の戦後復興を早める結果になった。日本経済には特需をもたらした。米国の冷戦戦略は日本の再軍備を求め、このためにも講和条約による独立が急がれた。戦争責任を問われた各界の指導者の公職追放からの解除もこの一環だった。

■政界再編絡みの追放解除

池田蔵相(中央)=朝日新聞社提供

池田蔵相(中央)=朝日新聞社提供

日銀は1951年6月7、8両日、全国支店長会議を開き、各支店長から地域経済について報告した。陶器、時計、自転車などの輸出や車両などの特需は引き続き活況――。総括すれば、そんな報告だった。

その頃、日本政府は追放解除をめぐってGHQ(連合国軍総司令部)と折衝を重ねていた。枠を拡大して解除される人数を増やそうとしたわけであり、技巧をこらした交渉をしたようだ。

例えば、「公職」の範囲縮小を認めさせた。大企業283社を公職からはずし、追放解除にならない経済人がこれらの企業の社長や役員に復帰できるようにした。283社には、いまはもうない会社もあるが、トヨタ自動車をはじめ、現在も日本を代表する企業が数多く含まれている。

追放されていた戦前、戦中の経営者が戻ってくる。どこの企業にとっても、それは様々な波紋を起こす出来事だったろうが、もっと影響が大きかったのは、政界である。

6月12日付日経社説は「追放解除と政党再編成」と見出しを立てた。書き出しは「追放解除と講和の接近で政界の再編成は必至とみられ、各政党とも今後の在り方についてそれぞれの思惑を持った内部の動きが激しくなり、動揺を示している」となっており、政局激動の気配を感じさせた。

しかし政府が20日に発表した第1次追放解除は、政界については不発に近かったようだ。三木武吉、石橋湛山が解除になったが、鳩山一郎、松野鶴平、河野一郎などが2次以降に持ち越されたからだ。余談だが、鳩山、松野、河野は、いずれも戦後政界で活躍するが、面白いのは、3人とも子も孫も衆院議員になっている。

一方、追放解除の経済界への影響は政界よりも少なかった。戦前の経営者の第一線復帰は少なかった。「三等重役」という言葉が残っているように、戦後派が既に各企業で地盤を固めていたからである。

■吉田、池田、周東そろって西へ

追放解除後に予想される政局の動きに先手をとる形で吉田茂首相はメッセージを発した。吉田がというよりも、吉田内閣が、というべきかもしれない。吉田は池田勇人蔵相、周東英雄経済安定本部長官をともなって23日、名古屋、阪神地方の企業を視察した。中日本重工(現在の三菱重工)、鐘紡(同カネボウ)、住友重工、神戸製鋼などを回ったのだが、首相以下3人の重要閣僚がこのような形で行動をともにするのは珍しい。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

3人がそれぞれ別々に記者団に対して話したのも珍しいが、目的はそこにあったのだろう。吉田の発言のポイントは政局であり、講和条約の署名は8、9月との見通しを示すとともに、講和後も政権を担当する考えを表明した。追放解除になれば、吉田の後を襲うつもりだった鳩山一郎が聞けば、怒り出す発言だったろう。

吉田はご丁寧にも「鳩山氏と私とは友人同士でなんのわだかまりもない。周囲がかれこれいうだけだ」と述べている。

実は鳩山は、この少し前の11日、脳出血で倒れている。12日付日経社会面は「追放を解除前に多忙な日時を送っている鳩山一郎氏は11日午後4時ごろ、文京区音羽町七ノ一〇の自宅で付近の碁友と囲碁中突然『気持ちが悪い』と就寝、付近の永井一医師=音羽町六ノ八=の診察を受けたところ軽い脳いっ血を起こしたものである」と伝えている。

2段見出しの地味な記事だが、「軽い脳いっ血」は、政界では軽くない意味を持つのが普通である。吉田発言は鳩山の病気と無関係ではなかったろう。

吉田内閣は同日、講和に臨む基本国策を発表した。内容は(1)インフレを抑制することによって経済の安定を維持し、生産規模を拡大し、国民生活の向上を期する(2)現行為替レートを堅持して米国はじめ民主主義国に対し、経済協力の実をあげ、貿易の増大を図る――など8項目であり、池田らはその具体的な中身を記者団に説明した。

吉田の続投の武器となる政策である。講和に向けた調整のため、24日にはアリソン公使が来日した。来日前、アリソンはマニラにいた。東京には1週間滞在し、講和問題を詰めると語った。ちなみに池田はその後、日米関係に少なからぬ役割を果たすが、それはこの物語でいずれ触れることになる。

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