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『バッテリー』で伝えたかったこと

あさのあつこさん

――政治でも経済でも今、言葉がすごく軽くなっている気がします。

本気で話す大人が減っているからですね。例えば選挙で「責任力」とかいわれても、思いが全然伝わってこない。自分にとって責任とはどういうことなのか、必死に語ってないからだと思う。大企業の経営者も不祥事があったとき、頭を下げて「すみませんでした」ばっかり。子供の言葉の乱れを嘆く前に、大人の言葉の貧しさを何とかしろと思いますね。

――なぜ大人の言葉は伝わらないんでしょう。

『バッテリー』が映画になったとき、地元の中学校で撮影があり、中学生もエキストラで参加したんです。真夏のグラウンドで、音声さんとか表には出ないスタッフが汗みどろになって働いている。それを見た中学生が「すごいなあ」っていったんです。大人が本気で仕事に立ち向かう姿を見たとき、子供は感動する。片や当たりさわりのない言葉で「申しわけありませんでした」って頭を下げるだけの大人がいる。本気で仕事に取り組んでいる大人の言葉なら、必ず子供に伝わります。

――著書の中で「少年が言葉を獲得する過程」と書かれてます。

自分が大事にしたいと思う誰かに出会って、自分の思いを伝えようと思ったら、もう言葉しかないと私は思うんです。例えば「好きだ」と思ったとき、「君は特別な存在だ」というのか、「そばにいてくれてうれしい」と言うのか、「おれの球を受けてくれ」というのか、いろんな言い方があります。100%でなくても自分の思いに少しでも近い言葉を探し、伝えようとする。それが人間のすてきなところだと思うんです。それを書いていったのが『バッテリー』という小説なんです。

経済状況がよくなくても、子供には希望を語ろう

中学生ぐらいの子供は、特に自分の思いと真摯に向き合います。大人は「この程度でいいか」と自分をいなすことを知っていますが、中学生はまだ不器用なので自分の気持ちにぴったり合う言葉が見つからないと、黙りこんでしまうんです。

――中学生などの子供がこの国の先行きに夢を持てず、将来に漠然とした不安を感じています。

現状を見れば、確かに全く明るくないですし、私は岡山県の田舎にいるので経済的にはひどい状況なんです。

でもね、大人が絶望するのは勝手ですけど、子供は絶望させてはいけない。うそではなく、ちょっとでいいから希望を語る。それが大人の責任です。バラ色の未来とか、若いことは素晴らしいなんて言わずに「大人になるのは大変なことだけど、面白いんだよ」と語れる大人を増やすのが、これからの政治の仕事だと思いますね。

――地方都市で生活する良さは何ですか?

私は生まれも育ちも、今生きている場所も同じなので、ほかと比較できないですが、自分の書くものと今住んでいる場所というのが分かち難いのです。経済的には落ち込んでますし、少子高齢化がすごい勢いで進んでいる。でも何だろう、あの雨上がりの土のにおいとか、降ったときの空の色とか、夕焼けの雲の流れ方とか……、自分の身に染み込んだ音やにおい、景色を、私は書いていきたい。

時代物を書いているとき、江戸時代の暗さとか、咲き誇る花の香りとかは、今の東京にはなくて、ここにあると思うんです。光の全く届かない闇も存在しますし、田んぼに水が入り、水と土のにおいが一緒になった感じとか、まん丸の月が田んぼに映っている光景とか、もしかして何百年も前の時代にもあったんじゃないかと信じることができて、そこから物語が書けたりする。そういう良さはあります。

完璧ではないから、ひとつの「できること」が輝く

――こだわること、あきらめずしがみつくことが大事とよくおっしゃっています。

自分に何が大切なのか。家族、自分の思い、恋人、あるいは野球のボールを投げること……。なんでもいい、自分にとって一番かけがえのないものを簡単に奪われ、あきらめてしまうようではダメなんです。

私にとって「書くこと」は誰にも奪われたくない。今思えば自分が器用でなくてよかった。運動神経があって何かできたり、絵が描けたり、音楽とかほかの表現ができたら、書くことにこんなにしがみつかなかったと思う。だから、「たった一つしかできない」のは、いいことだなと、この歳になってやっと分かったんです。

――そういうのを子供たちに伝えたいですね。

子供って、コンプレックスの塊。特に中学生なんて自意識が強いから、できないことに対してすごく落ち込んだり、自分を全否定したりする。自分もそうだったから、子供たちにはこう伝えたい。「たった一つでいい。君にできることがきっとあるよ」と。それが見えるのは30歳かもしれないし、40歳かもしれない。私はデビューしたのが37歳と遅かった。だから10代で開花しなくても、20代で開花しなくても、そんなことは構わない。

「こうあらねばならない」と考えすぎると、見えるものも見えなくなる。例えば、甲子園にとらわれ過ぎて、1球を投げる面白さに気づかないで終わってしまった球児とか、いたかもしれない。

――ご自身のおカネとのつきあい方を教えてください。

亡くなった父が税理士でした。弟も税理士をしているので、おカネの管理は任せています。『バッテリー』が売れたとき、想像できないようなおカネが入ってきましたが、弟の助言もあって「来年これだけ税金を払わないと」って、ちゃんと計算できました。

――資産運用にご関心は?

もうけなくてもいい、とにかく損をしたくないという性分なので、証券会社からの電話もみんな弟に回してます。やっぱり根が小心なものですから、一発もうけよう、みたいな投資はできないですね。

私は書くためには経済的安定がすごく大事と思うんです。家族を泣かせてもおれは書く、みたいなスタイルは今の時代、ありえない。きちんと生活をし、家族を守り、そういうところから生まれてくる作品に意味があると思うんです。

[日経マネー別冊「私のマネー黄金哲学」(2010年5月)の記事を基に再構成]

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