ソ連が13項目の条約修正提案
帰ってきた日本(8)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
1951年9月5日午後のサンフランシスコ・オペラハウス――。ダレス米、ヤンガー英代表が対日講和条約草案の説明をした後、ようやく各国の一般声明演説に入った。だがソ連のグロムイコの出番までには、メキシコのデ・ラ・コリマ代表、ドミニカ共和国のディアス代表の演説を聴く必要があった。
グロムイコようやく登壇
そしてようやくグロムイコの登場である。
およそほほ笑みなるものと無縁な、この外交官は、米英の条約草案を批判し、ソ連はこの条約に参加しないと言明した。「中共の参加なしには日本との講和解決は問題にならない」と述べたのである。UP、APなどの通信社の記者たちは、このくだりを聞き、「ソ連、署名の意思なし」と世界に向けて打電した。
グロムイコは長広舌をふるった。次の13項目からなる条約修正案を語ったのである。
1、樺太と千島はソ連に帰属させる。
2、日本の主権を琉球列島にも拡大させる。
3、日本にある全軍隊は可及的速やかに、あるいは条約署名後90日以内に撤退する。
4、中国、インドネシア、ビルマ、フィリピンのために賠償会議を開く。
5、中共を条約署名国に加える。
6、台湾は中共に帰属させる。
7、言論、信仰の自由を含むあらゆる人権を保障するのに必要な措置を講じる。
8、軍国主義的色彩を持つ組織はすべて禁止する。
9、第2次大戦中、日本と戦った国を目標とする軍事同盟に日本が加入するのを禁止する。
10、日本の軍隊を陸軍、警察隊併せて15万、海軍2万5000、空軍2万、戦闘機200機、輸
送機その他最高150機、重戦車、中戦車併せて最高200台に制限する。
11、以上の軍隊を維持するために必要な軍事訓練を除き、他はすべて禁止する。
12、原子、細菌その他の大量殺戮兵器を禁止する。
13、対馬海峡を非武装化する。
今日の目からみると、興味深い提案である。日米安保条約ができる前のソ連提案である。日米にくさびを打ち込む意図が読める。つまりこの時点ではソ連にとって敵は日本ではなく、明確に米国だった。
1の領土問題は千島の定義をめぐって現在も北方4島問題が解決していないが、それを除けば、2の沖縄返還は米軍統治を終わらせよという意味だとすれば、日本を喜ばせ、米国を困らせる結果になる。くさび戦術である。
3の90日以内の米軍中心の外国軍撤退、5と6の中共を条約に加えよとする主張、そして9はソ連、中国を目標とする日米同盟を禁じる意図である。
ソ連提案を米国が認めるはずがない。それでもあえて提案する。それが冷戦下の国際政治の現実だった。
ソ連が日本の再軍備を認めた点も面白い。今日の見方からすれば、敵である日本は非武装の方がいいと思われがちだが、この提案は米国の同盟国ではない日本を前提としたものであり、日本に好意的メッセージをおくる必要があったのだろう。
日本の再軍備認めたソ連
陸軍、警察隊15万、海軍2万5000、空軍2万という数字は、現在の自衛隊のそれと比べると、確かに少ないが、警察隊の定義にもよるが、陸に限れば、現在の陸上自衛隊の定員は15万1337人であり、現員は13万9323人だから、それほど少なくはない。
ソ連は日本の事情を知っていた。グロムイコ演説は、特に日本の全面講和派に影響を与える狙いだったかもしれない。が、それは、後に述べるように、ソ連の対日無知を示すだけの結果となった。
グロムイコはスペンダー副議長の注意を無視し、1時間を過ぎても話を続けた。それでも超過時間は2分だけであり、午後6時5分(日本時間6日午前11時5分)、演壇を降りた。長い午後だった。
日本社会党はソ連修正案に失望
ソ連修正案に最も失望したのは、日本の社会党だったろう。再軍備に反対し、ソ連、中国を含めた全面講和を求めていた社会党にとって再軍備を認めるグロムイコ提案は、裏切りと映った。
鈴木茂三郎委員長は失望感を次のように語った。
「少なくとも千島にあるソ連の軍事基地をつぶして南樺太とともに日本に返還し、同時に中ソ友好同盟を廃棄した上で米国とともに日本の中立を保障する平和への建設的な態度をとって、ソ連が真に平和愛好者だということをみずから立証するような主張でなければ全然筋が通らない。全般的にソ連の修正案には失望した」
今日の目でみれば、鈴木が千島と南樺太の日本返還を求めていたことにも驚かされる。