テニスやサッカー…弾道とらえる「ハイテクの目」 伝統より正確さ
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「審判判定の公平さ」が大前提となるスポーツの判定に「ハイテクの目」を採り入れ、人間ではやむを得ず生じてしまう誤審を限りなくゼロにする動きが始まっている。ボールがゴールラインを越えたかどうかの判定が勝敗を分けるサッカーでは、長年物議を醸してきたビデオ判定を導入する協議が本格化している。テニスの国際大会では、選手が審判の判定に不服の場合には、カメラがとらえた映像を基にボールのイン/アウトを確認できるルールが組み込まれ、競技そのものを大きく変えた。
「幻のゴール」がなくなる日
審判の誤審による「幻のゴール」がなくなる日が近づいている。国際サッカー連盟(FIFA)が、ゴールがラインを割ったかどうかの判定に「機械の目」を導入するビデオ判定の協議を始めているからだ。議論のきっかけとなったのは、2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の試合であった微妙な判定だ。
決勝トーナメント1回戦のドイツ―イングランド戦。イングランドの選手が放ったシュートがゴールラインを割っていたように見えたにもかかわらず、主審、副審ともに得点を認めないという"誤審"が発生。この得点の有無が勝敗にも大きく影響するものだっただけに、試合後も激論が交わされる問題となった。それまで「試合の流れが止まる」「誤審も含めてサッカーだ」という姿勢をとってきたFIFAは、導入に向けて大きな方針転換を迫られた。

ビデオ判定の導入議論が進んでいるのは、ボールがゴールラインを割ったかどうかという部分。FIFAは同技術を「ゴールラインテクノロジー(GLT)」と呼ぶ。規則改正を話し合う国際サッカー評議会(IFAB)は、「1秒以内に結果が表示されること」「誤差の許容範囲プラスマイナス3センチメートル以内を、9割の確率で出すことができること」といった精度などの条件を公表している。すでに数社が入札に参加しており、技術審査を控える。正式に採用が決まれば、14年のワールドカップ(W杯)ブラジル大会には、機械化されたゴール判定システムがお目見えする可能性も出てきた。
10台のカメラの「目」、ボールの軌道を割り出す

このFIFAの入札に参加しているのが、英国のベンチャー企業、ホークアイ(ウィンチェスター)だ。弾道ミサイルの誘導技術の開発に携わった経歴を持つポール・ホーキンス氏らが1999年に創業。社名は、創業者の名前と、はるか遠くの獲物を見つけられる「タカ(鷹)の目」にちなんでつけられたという。
同社の技術はすでに、英国で人気の高いクリケットやテニスのビデオ判定システムとして導入されている。テニスの国際大会では、選手は審判の判定に不服があった場合、1セットにつき3回までビデオ判定の要求(「チャレンジ」と呼ぶ)ができ、イン/アウトを確認できるようになった。

当初は、ロジャー・フェデラー(スイス)などトップ選手が「機械に試合の流れを左右されては困る」などという理由で難色を示していた。国内最大のテニストーナメント「楽天オープン」の運営をてがけ、ウィンブルドン選手権などの国際大会で審判経験を持つ日本テニス協会の川廷尚弘氏によると、「現在は試合のリズムをつくるため、うまく(チャレンジを)活用する選手が増え、選手、審判ともに適応しつつある」という。

同システムは、コートの上方に設置された10台のカメラが直径6.6センチメートルのボールを追う。土木測量や弾道ミサイル誘導などの軍事技術にも使われる三角測量を応用し、各カメラが撮影した画像から独自のアルゴリズム(計算式)によってボールの軌跡を推定。短時間でボールの落下点(地面に触れた点)を算出する。さらにカメラが捉えた映像を基に、弾道のCG(コンピューターグラフィックス)を作成して、視覚的に分かりやすいアニメをつくりだす。

世界トップクラスの選手のサーブは最速で時速220キロメートルにもなる。年々、ラケットやトレーニングの進化などでボールの高速化がさらに進んでいる。これだけ高速なボールのイン/アウトを瞬時に判断する審判は、高い能力が求められる。太さ5センチメートルのラインに1ミリメートルでもボールが接していたら「イン」となるからだ。ウィンブルドン選手権などの国際大会では、ライン判定の審判員は1コートにつき9人が担当する。決勝が行われる「センターコート」含めコート数は約20にものぼり、総勢300人の審判員が必要となる。ラインから6メートル以上離れている審判は、多いときで20から30往復するラリーのすべてに神経を研ぎ澄ませなければならない。
鍛え抜かれた肉眼、誤審は2~3割

国際大会の審判は毎年、視力検査を受け、コートの周りにいる監視員に判定能力を審査されている。「相当な集中力を要求される」(日本テニス協会の川廷尚弘氏)仕事なのだ。そうした厳しい条件をクリアした審判でも、「チャレンジ」で判定が「誤り」とされることが2~3割程度あるという。「機械判定に振り回されるのは良くないが、イン/アウトをデジタル的に決めなければならない判定では、アナログな審判の目の重要なアシスト役になる」(川廷氏)。
ホークアイ社が公表する平均測定誤差は3.6ミリメートル。「誤審はほぼゼロパーセント」(川廷氏)という。ホークアイの専門スタッフが、コート上方に設置されたモニター室ですべてのラリーの軌道を追跡、解析しているため、選手がチャレンジを要求すると、わずか数秒で直前のボールの軌道をCGで再現できる。
同システムは06年から順次、4大大会といわれるウィンブルドン、全豪、全仏、全米オープンのセンターコートに導入されているほか、世界のトップ大会と認定されている71大会のうち40大会以上で使われている。
テニスの世界大会が公正な判定を徹底させるため「ハイテクの目」を取り入れようとしたのは、ホークアイの技術が初めてではない。1980年代には赤外線を使うシステムが、90年代にはボールにICチップを埋め込み電磁波を測定するシステムがそれぞれ開発され、世界大会に導入された経緯がある。ただ、システムの導入や運営に年間数億円かかるというコストの問題に加え、選手が履いている靴や芝の状態、風などの天候によって判定精度が下がるという難点をクリアできず、本格的な普及には至らなかった。

ホークアイの技術は、判定精度の高さやプレー直後にCG画像を出せる即時性に加え、運営コストを抑えられる点も売り物の1つだ。現在、ウィンブルドンでは「センターコート」など限られたコートに導入しているが、試合前に10台のカメラを設置し、解析処理用のパソコンとサーバーを持ち込めばよく、1大会ごとに数百万円のコストで抑えられる。コートに機器を設置する従来の判定システムと異なり、大がかりな工事が不要となる。
CGでボール着地点を再生、観客を魅了
技術的な側面だけでなく、大会運営者に評価が高いのが、観客も「審判の視点」でイン/アウトを確認できるというエンターテインメント性だ。選手や審判と一緒に大画面上で、ボールの軌跡をリアルなCGで確認できるからだ。アニメでは正面から飛んできたボールが判定を左右するラインにタッチするときにスローモーションとなる。ラインタッチ後もボールの影がつくこだわりようだ。

「国内の観客は静かに観戦することが多かったが、ホークアイ導入後はチャレンジに対する反応がよく、集客の面からも効果があった」(川廷氏)という。テニスはテレビCMを入れるタイミングが極めて少ないスポーツだが、ボール判定の画像が映し出されるたびに画面内にスポンサー名を入れられるというメリットも大きい。
ホークアイは、選手のユニホームの色に至るまで細かい規定を持つなど伝統を重んじるウィンブルドンの運営者からも、技術精度の高さやCG表示の迅速性などが評価された。それまでテニスのルールになかった「チャレンジ」を生み出した。
「新しいかたちのエンターテインメントを」

その実績に着目したソニーは今年3月、ホークアイを買収した。ソニーのプロフェッショナル・ソリューション事業部の林亮輔統括部長は「当社が持つ映像再生技術などと組み合わせて、新しいかたちのエンターテインメントを提供できる」と意気込む。同事業部は、スポーツスタジアム向けにハードディスク(HD)や3Dコンテンツ制作機器、大型発光ダイオード(LED)スクリーンの開発や商品企画などをてがける。
今年のウィンブルドンでは、男子の準決勝と決勝、女子の決勝を3D映像で撮影、世界各国の「デジタルシアター」と呼ばれる映画館で上映した。英国放送協会(BBC)と組み、3D映像を世界各国の放送局に提供している。インターネット上では、すべてのボールの行き来をCGのアニメーションで見せたり、サービスエースの数などのデータをリアルタイムで提供。テレビ画面へのCG表示だけでなく、スポーツを基にしたコンテンツ配信ビジネスを多面的に展開している。
4大スポーツへの導入も
「スポーツ関連ビジネスは08年の米リーマン・ショック後も市場が衰えていない」(林氏)といい、14年のブラジルでのW杯に向けても、業務用機器で大きな商機が期待できる。ソニーが狙うのは、大会の運営全般を含めたソリューションビジネスだ。「両社の強みを生かし、相乗効果を出したい」(林氏)と、すでにソニーとホークアイの技術者で実写とCGを融合させるプロジェクトを始動させるなど、次世代の映像表現の開発に余念がない。ソニーの林氏は、ホークアイ社の技術を「アメリカで4大スポーツと言われているアメリカンフットボールや野球、バスケットボール、アイスホッケーに導入したい」と期待を語る。
ただし日本テニス協会の川廷氏は、「ベンチャーを含め、世界中の様々な企業がビデオ判定技術の開発に力を入れている」と指摘する。より精度が高く価格が安い技術が生み出されれば、必ずしもホークアイの独壇場とはならない。

「3次元」で距離を判定、測定時間短縮も
陸上競技でもビデオを使った判定が採り入れられようとしている。今月下旬、韓国・大邱(テグ)で開催される世界陸上選手権では、屋外競技として初めて、走り幅跳びや三段跳びにVDM(ビデオ距離測定装置)が導入される。
これまでは、飛距離を測定する審判員が着地点に「プリズム」とよばれる反射板を設置。計測器からの赤外線の反射を利用するEDM(光波距離計)システムによる計測方法が使われていた。

VDM方式は、1500万画素の高解像度のステレオカメラを2台設置。走り幅跳びでは、着地点と砂場の周囲に設置したマーカー間などの位置関係から、X、Y、Z軸の3次元データに基づいて選手の飛距離を測定する。測定精度はプラスマイナス3ミリメートル。これまでは砂の盛り上がりなどの「高さ」の数値を反映させた測定ができなかったが、より立体的なデータを使うことで距離の精度が高まるという。
また従来の測定方法では、プリズムを設置するのに10~15秒、測定に15秒、データ処理に20秒ほどの時間がかかっていた。新システムでは、パソコン上で複数の画像から判定しやすい画像を選び出し、審判員が選手の着地点にカーソルを合わせる作業が10~15秒ほどで完了する。データ処理時間は同じだが、測定にかかる時間は約半分となり、素早く公式タイムを公表できるようになる。

ここで得られた情報を即座に公式のインターネットサイトに回すことで、トップの選手だけでなく出場選手全員の記録をほぼリアルタイムでアップできるようにもなった。セイコースポーツライフ(東京・文京)でスポーツ競技場などに測定器などを提供しているスポーツタイミング部長の梶原弘氏は「競技の公平性はいうまでもなく、世界的な大会ではより速く結果やデータを『見せる』というエンターテインメント性が求められるようになった」と指摘する。プリズムなどを含め、計測機器などは観客やテレビカメラにとっては障害物ともなる。より選手の動きを観客に伝えやすくするほか、画像を記録することで審判の公平性にもつながるという。
スポーツ競技では長らく相撲や野球にビデオ判定が使われているが、審判の判定を補助する役目がほとんどだ。「試合の流れを悪くする」「審判の威厳がなくなる」などの理由でIT(情報技術)の活用は敬遠されてきた。テニスに加えサッカーなどが公式ルールを変更してまで新技術の採用に前向きな背景には、現場にいる観客だけでなく、テレビ中継やネットで観戦する視聴者に明確な証拠を提示し納得してもらうという狙いがある。競技の楽しみ方を広げる手段として活躍の場が広がりそうだ。
(電子報道部 杉原梓)