富士通のデスクトップPC、被災から生産再開までの一部始終
福島県の拠点損壊、事業継続計画を基に復活

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2011/4/15付
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富士通の社内では、災害や事故などが原因で事業の継続に影響が出た際に、事業を継続したり再開したりするための行動計画を定めた「BCM」(Business Continuity Management)を策定している。実は、BCMの中に、富士通アイソテックの生産ラインが被害を受けた場合の対応策を規定していた。想定していたリスクは地震と火災。半壊と全壊の2つのケースに分けて、行動計画を定めていた。全壊の場合の対応策は、デスクトップパソコンの生産ラインの移設。移設先は、ノートパソコンの生産拠点である島根県斐川町の島根富士通だ。

パーソナルビジネス本部は3月13日、BCMに従ってデスクトップパソコンの生産ラインの一部を島根富士通に移すと決定した。富士通アイソテックにあった製造用部品の在庫を島根富士通に移送。さらに、「すべてのサプライヤーに連絡して、納入地の変更をお願いした」(富士通パーソナルビジネス本部サプライチェーン統括部長の内藤真彦氏)。ノートパソコンとデスクトップパソコンとでは、必要となる設備も異なっている。例えば、ノートパソコンの場合は内蔵するバッテリーを利用して動作試験ができるが、デスクトップパソコンは試験のために外部から給電する必要がある。また、搭載するソフトウエアの種類も異なっている。このため、試験用の装置やソフトウエアのインストールデータなども、富士通アイソテックから島根富士通に送った。

こうした取り組みで、島根富士通では3月23日からデスクトップパソコンの生産が始まった。福島では、法人向けと個人向けの双方のデスクトップパソコンを生産していた。島根に生産を移管したのは、法人向けのデスクトップパソコン。これは、製品を発注済みの法人ユーザーに対する影響を少しでも減らすための判断だ。

震災の発生から、島根富士通での代替生産の開始まで12日間。こうした短期間でデスクトップパソコンの生産を再開できたのは、事前に対応策をまとめていたからだ。とはいえ、実際の作業の中では誤算もあった。一つは、従業員の家族の被災だ。今回の規模で生産設備を移管する際には、サポート要員として4人程度のスタッフが福島から島根に入ることを想定していた。ところが震災後の状況のなかで、家族を残して福島を離れてほしいとは言えない状況になった。このため、生産プロセスを把握している統括部長が1人だけ島根に向かった。

「全壊」なのかの判断に手間取ったことも見込み違いだった。BCMの規定では、富士通アイソテックが全壊した場合、1日以内に移管を決定することになっている。ところが、今回の震災では、建屋の中に入って被害状況を正確に把握することができなかった。結局、島根富士通への移管が決定したのは2日後。生産ラインの移管を決断した富士通の執行役員 パーソナルビジネス本部長の齋藤邦彰氏は、「家族の被災や建屋に入れない状況が起こることなどは想定していなかった。今後はBCMを見直さなければならない」と反省する。

図6 富士通 執行役員 パーソナルビジネス本部長の齋藤邦彰氏(右)と、同社 パーソナルビジネス本部 サプライチェーン統括部長の内藤真彦氏(左)

図6 富士通 執行役員 パーソナルビジネス本部長の齋藤邦彰氏(右)と、同社 パーソナルビジネス本部 サプライチェーン統括部長の内藤真彦氏(左)

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