富士通のデスクトップPC、被災から生産再開までの一部始終
福島県の拠点損壊、事業継続計画を基に復活

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2011/4/15付
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富士通アイソテックでは、2階建ての建屋の1階でパソコンサーバー、2階でデスクトップパソコンを生産していた。揺れや被害は、2階のほうが格段に大きかったという。揺れが収まると同時に、従業員は建屋の外に一斉に避難した。避難経路となった非常階段は、壁が崩れ、漏れた水で足元がぬれていた。震災発生から1時間半後、従業員全員の無事が確認できた。「被害の状況を考えると、奇跡としか言いようがない」(富士通アイソテックの増田実夫社長)。

屋外に避難してからも困難な状況は続いた。避難した従業員はみんな、着のみ着のまま。中には、半袖姿の従業員もいた。しばらくすると天候が吹雪に変わった。大きな余震が断続的に続いており、危なくて建屋の中には入れない。すぐに帰宅するのは危険との判断で、従業員は敷地内での待機が続いた。「余震が続く恐怖と寒さの二重苦だった」(富士通アイソテック 執行役員 兼 ボリュームプロダクト統括部長の栃本政一氏)。

その間、出入り口に近い部屋にロッカーがあった従業員は、数人ずつヘルメットを被って、荷物や着替え、靴などを取りに戻った。また、寒さを少しでも和らげようと、商品の梱包に使う袋状のビニールを配って、みんなが身に付けたという。余震が少し収まり、従業員に帰宅指示が出たのは16時半ごろ。従業員の約9割は、車で通勤している。車のキーを取りに戻れない従業員は、ほかの人の車に同乗するなどして帰宅したという。

図5 富士通アイソテック社長の増田実夫氏(右)と、同社 執行役員 兼 ボリュームプロダクト統括部長の栃本政一氏(左)

図5 富士通アイソテック社長の増田実夫氏(右)と、同社 執行役員 兼 ボリュームプロダクト統括部長の栃本政一氏(左)

翌3月12日、富士通アイソテックでは約30人の幹部社員が出社し、比較的被害の少なかった建屋の会議室に対策本部を設置した。最初に対策本部が注力したのは、「社員の家族や自宅の状況確認」と「社内の現状把握」の2点。それぞれ、担当するチームを組織して、作業を進めた。電話が使えないことから、社員の状況確認には3日間を要した。その結果、家族の無事は確認できたものの、自宅が地震で壊れたり、津波に流されたりした従業員がいることが判明した。一方、社内の状況の確認には、それ以上の期間が必要となった。建屋の安全が確認できず、内部に自由に入れない状態が続いたためだ。

■デスクトップ生産の一部を島根富士通に移管

福島県の生産拠点に大きな被害が出ているとの情報は、富士通でパソコン事業を担当するパーソナルビジネス本部にもすぐに伝わった。第一報は、富士通アイソテックに出張中の社員の携帯電話機から川崎市のオフィスへの電話だった。震災の発生後、全国の広い地域で電話がつながりにくくなったが、内線電話は機能していたため、両拠点間の通話は可能だったという。

富士通は例年、3月に最も多くのパソコンを生産している。この時期は、年度内にパソコンを導入しようという法人や、4月からの新生活に向けてパソコンを購入しようという個人の需要が急増するためだ。地震の直前には、1日におよそ4000台のペースでデスクトップパソコンを生産していた。通常、3月10日ごろから3月25日ごろが生産のピークで、1日で6000台以上の製品を送り出す日もあるという。年間で最大の需要期に向けてデスクトップパソコンの生産をどのように回復していくのか、富士通のパソコン事業にとって喫緊の課題だった。

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