日米外交60年の瞬間 第3部

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講和会議のサンフランシスコ開催決定 サンフランシスコへ(19)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/12/24 7:00
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東京開催は結局、誤報となる。サンフランシスコで1951年9月の第1週に対日講和会議の署名式をするとのニュースが駆け巡ったのは、ロンドン発の報道の2日後の7月6日だった。米国務省当局者がUPI、APなどの記者に語ったのである。

ワシントン発APによれば、米政府は約50カ国に対し、9月4日にサンフランシスコで開かれる対日講和条約の署名会議に出席するよう7月末に招請状を発すると伝えた。

■国連発足決めたオペラハウスで

AP電は、会議にはダレス大使のほか、アチソン国務長官も出席するとみられるが、トルーマン大統領が出席するかどうかは明らかではないとしている。実際には52カ国が全権団をおくり、トルーマンも参加した。国務省当局者はその時点でわかる範囲の正確な説明をしていた。

歴史的な講和会議の会場となるサンフランシスコも、このニュースで沸き立つ。市当局者は、会議の場所をオペラ・ハウスとすると述べた。7月8日付日経朝刊1面のニューズダイジェスト(現在の3面「きょうのことば」に相当する)は、「オペラ・ハウス」をとりあげた。

それによれば、サンフランシスコのオペラハウスは正式にはウォーメモリアル・オペラ・ハウス(戦争記念館)で、第1次大戦の戦死者を記念するためカリフォルニア州の郷軍団体が募金して建て、サンフランシスコ市に寄付したという。

この施設は、大理石の豪壮な建物は顧客約3000人を収容でき、大きさと近代的設備が整っている点で当時、オペラハウスとして世界一とされていた。日本が降伏する以前の1945年6月に国際連合の発足を決めた会議も、ここで開かれた。

GHQのシーボルト外交局長は「理想的な場所を選んだと思う」と語った。だが、その理由は交通の便がよい、などのいわばロジスティクスの上からものだった。

「サンフランシスコ市民は米国でも太平洋問題に最も深い関心を持っている」とも述べているが、太平洋に面するこの町が日本への玄関であり、多数の日系人が住むことなどには触れていない。短いコメントからも当時の日米関係が占領者と被占領者のそれだったことがうかがえる。

ちなみにいまも日本航空第1便はサンフランシスコ・東京便であり、第2便がその逆である。サンフランシスコは米国の都市のなかで日本にとって特別な町なのである。

ワシントンにいたダレスは6日、講和条約の草案改訂版を関係国に配布した。こうした手際の良さにソ連は反発した。ソ連政府機関紙イズベスチヤは「米国はソ連および中共の参加なしで対日講和条約を締結する日本と他のアジア諸国間に緊迫状態をつくりだそうと努めている」と非難した。

日本国内もニュースに喜んだ。増田甲子七自由党幹事長は「喜びに堪えない。講和が締結されれば自由独立国となり、国際社会の一員となるのだから、全く喜ばしい」と述べた。浅沼稲次郎社会党書記長も「国家独立の機会をつかむことであり、喜びに堪えない」としたうえで「しかし草案内容が発表されていないのでにわかに明確な態度は表明できぬが、わが国の独立と平和のために努力されんことを期待する」と、やや苦しげに喜びを語っている。

■最も野党的だった民主党三木談話

三木武夫民主党幹事長は「政府は講和の実を挙げるために速やかに臨時国会を召集するとともに、懸案の全面的追放解除を完了し、講和草案に国民が自由に論議する機会を与え国論統一を図るべき厳粛な義務を有することを自覚すべきである」と、いかにもこのひとらしい硬い談話を発表した。浅沼氏よりも野党的に響く。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

講和条約の段取りが決まれば、日本国内では全権団の人選が政界の話題になる。

吉田自身が首席全権として行くことがはじめから決まっていたように思われるが、当時の報道では佐藤尚武参院議長が全権候補のひとりだった。外交官出身で戦前に外相を務めた佐藤は、外務省では吉田の1年先輩に当たる。このほか林譲治衆院議長、芦田均前首相、池田勇人蔵相、一万田尚登日銀総裁らの名前が挙がっていた。芦田もやはり外交官出身で吉田より5年後輩にあたる。

しかし人事をめぐる観測記事は、ふたをあければ間違いも多い。上にある名前のうち、実際に全権団に加わったのは、吉田、池田、一万田だけであり、民主党からは芦田ではなく、苫米地義三最高委員長、自由党は星島二郎常任総務、参院緑風会から徳川宗敬議員総会議長らになるが、その経緯については後にまた述べる。

7月8日付日経社説は「講和の日迫る」と題し、1本もので論じた。マッカーサー解任の際は、かなり情緒的だった社説だが、ここでは意外に冷静であり、条約草案が署名直前に突きつけられるような事態を避けてほしいと強調した。

「中共政権と条約を結ぶか国民政府(注、現在の台湾)と条約を結ぶかの決定がわが国に任されるようなことになると、講和後のわが国が非常に苦しい立場に立たされることも予想され」と指摘したほか、賠償問題が具体的にどうなるかも関心事だった。

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