政客列伝 松野鶴平(1883~1962)

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犬養内閣の総選挙を陣頭指揮 「吉田茂を引き出した男」松野鶴平(2)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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2012/5/20 7:00
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1920年(大正9年)5月、晴れて政友会代議士になった松野鶴平は「政界の策士」と呼ばれた小泉策太郎の門下生として政治家生活のスタートを切った。小泉はジャーナリスト出身で米相場や株式相場、石材売り込みに成功して財をなし、各種事業にも関係して明治45年に政友会代議士になった。陸軍長州閥の寵児・田中義一と親しく、原敬政友会総裁と田中を結ぶ重要なパイプ役を務め、原政友会内閣の実現に大きく貢献した。

■小泉策太郎の門下生、政友会分裂を正確に予測

小泉策太郎

小泉策太郎

小泉策太郎はジャーナリスト時代に熊本の九州自由新聞の主筆を6年間務め、熊本の民権派、熊本政友会とは深い関係にあった。松野が同郷で同期当選の上塚司(後に高橋是清の秘書官)とともに小泉の門下生になったのはこうした関係があったからである。小泉は原内閣発足直後に原首相と不仲になり、代わって「原敬の懐刀」と言われた横田千之助法制局長官と親交を結んだ。松野の岳父・野田卯太郎逓信大臣と横田は盟友関係にあったから、野田も娘婿の松野を小泉に預けることに異論はなかった。

1921年(大正10年)11月4日、原首相が東京駅で暗殺されたとき、松野は小泉、上塚とともに中国の天津に滞在していた。小泉は大連株式取引所の理事長、松野は理事をしており、大連の会議に出席した後、北京、天津を漫遊中だった。原首相暗殺の報を天津駐屯軍司令官から聞いて驚いた松野と上塚は直ちに帰国したが、小泉は大連に戻ってしばらく国内の様子を見ていた。小泉は原首相暗殺の背景にあった宮中某重大事件(元老・山県有朋が皇太子の婚約取り消しを主張し、右翼・国粋派がこれに反対して山県を攻撃した事件)や皇太子外遊反対運動に関係していた。

原敬暗殺は大政友会凋落の大きな一歩となった。後継首相・総裁になった高橋是清は党内統率力に乏しく、党内は内閣改造をめざす高橋首相、横田幹事長、野田逓相、岡崎邦輔筆頭総務ら主流派と、内閣改造に反対する床次竹二郎内相、山本達雄農商務相、中橋徳五郎文相、元田肇鉄相ら反主流派の抗争が絶えず、高橋内閣は閣内不統一でわずか半年で瓦解した。その後も主流派と反主流派の抗争が続き、政友会は衆院で絶対多数を持ちながら次々に政権が素通りするありさまだった。

1924年(大正13年)元旦、山本権兵衛内閣の後継として枢密院議長の清浦奎吾に組閣の大命が下った。またしても政権が素通りした高橋総裁の面目は丸つぶれとなり、1月2日の政友会幹部会で「私には決心がある」と総裁辞任を示唆した。熊本出身の清浦首相は貴族院の最大会派「研究会」を基礎に組閣した。政友会と研究会は原内閣時代から提携関係にあったから研究会は政友会に清浦内閣への協力を求めてきた。清浦内閣の書記官長には熊本出身の政友会代議士・小橋一太が起用された。首相秘書官には小橋の推薦で熊本出身の内務官僚・大麻唯男が就任した。

1921年(大正10年)11月
小泉策太郎と北京、天津漫遊中に原敬首相暗殺される
1924年(大正13年)1月
小泉策太郎の依頼を受けて政友会の分裂規模を正確に予測
同年5月
清浦内閣の総選挙で落選
1925年(大正14年)3月
菊池軌道社長に就任
1928年(昭和3年)2月
田中内閣の総選挙で復活当選
1931年(昭和6年)12月
犬養内閣の内務政務次官に
1932年(昭和7年)2月
犬養内閣の総選挙で与党政友会の選挙を陣頭指揮して圧勝

床次ら反主流派は清浦内閣への協力方針に傾いた。一方、高橋総裁、横田幹事長、野田ら主流派は山本内閣当時から憲政会の加藤高明総裁、若槻礼次郎、浜口雄幸、安達謙蔵ら幹部とひそかに会談して特権内閣打倒に動き始めていた。従来からの研究会との提携を重視して清浦内閣に協力するか、憲政会と提携して清浦内閣打倒に動くか、政友会は重大な岐路に立った。1月3日、小泉は横田幹事長に頼まれて高橋総裁邸を訪問した。二人は趣味の骨董・仏像で意気投合した仲である。その場で小泉は高橋に総裁辞任を翻意させ、さらに爵位を返上して総選挙に打って出て清浦特権内閣打倒、憲政擁護運動の先頭に立つことを決意させた。

1月15日に高橋総裁邸で開いた政友会幹部会の席で高橋総裁は小泉が執筆した「私の決意」という声明文を読み上げた。高橋の総裁辞任は必至と見ていた床次ら反主流派は高橋のひょう変に驚き、猛反発して政友会は真っ二つに分裂した。政友会幹部会の前日、小泉は腹心の松野を呼んで政友会の議員名簿を持ってこさせた。小泉が「いよいよ喧嘩(けんか)をはじめるんだが、残る者と出る奴を調べて名簿に星をつけてくれ」と頼んだ。松野が「どんな喧嘩ですか」と尋ねると小泉は「山本、床次、元田、中橋この連中がぞろぞろ出る。きさまのオヤジの野田は残る。岡崎さんも泣く泣く残る。そういう喧嘩だ」と答えた。

それを聞いて松野は議員名簿に白星、黒星を書き込んだ。政友会に残る者が白星、脱党する者が黒星、去就不明者が三角である。小泉がそれを数えると白星が110人、黒星が130人、三角が40人になって脱党者が多いのに驚いた。小泉によると横田幹事長は脱党者は多くても50人は出ないと信じ、苦労人の前幹事長・望月圭介でさえ、まさか100人を超えることはないだろうと見ていたという。松野に票読みを頼んだ小泉自身も最終的には160~170人は政友会にとどまると信じて疑わなかった。

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