2019年8月25日(日)

日米外交60年の瞬間 第3部

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異例の首相挨拶の新聞広告 サンフランシスコへ(45)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/6/23 7:00
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1951年9月の日本は講和で沸き立っていた。当時の日経第3面にそう大きくないが目立つ広告が載っている。吉田茂首相のあいさつ文である。

全文を紹介する。

「御挨拶 小生渡米に際し寄せられたる御厚意に対し一々御返事申盡す遑無之乍略儀以紙上御礼申述候 昭和二十六年九月一日 吉田茂」

■10年ぶりの国際社会復帰に記者も感慨

明治の人である吉田が残した手紙の類の多くは、こんな感じの候文だった。当時は、これが理解できるひとが当たり前のようにいたということか。

いまはそうはいかないから、現代語に訳す。こんな感じだろう。

「ごあいさつ 私の渡米に際して寄せられたご厚意に対していちいちご返事を申し尽くすいとまがないので略儀ではあるが、紙上にてお礼申し上げます」

首相自身が筆をとったとしか思えぬ文章が広告の形で新聞に載るのは、極めて異例である。

サンフランシスコ空港に到着後、報道陣にステートメントを読み上げる吉田茂=毎日新聞社提供

サンフランシスコ空港に到着後、報道陣にステートメントを読み上げる吉田茂=毎日新聞社提供

載っているのは第3面。「3面記事」という言葉をご存じの読者は少なくなっているかもしれない。新聞のページ数がその後増え、いまは半ば死語になりつつあるが、社会面記事のことである。当時の新聞は第3面が社会面だった。

51年当時の日経の第3面も社会面ニュースが載っているが、そこは経済新聞だから、左半分よりやや小さなスペースに「経済教室」が掲載されている。いま経済解説面にある経済教室は当時既にあった。ちなみにこの日のテーマは「壁につき当たったプラント輸出」。

さて一足早くサンフランシスコ入りしていた大軒、木原両記者は、吉田を迎えて原稿を書きまくる。

「大軒、木原両特派員サンフランシスコ31日発」のクレジットがついた記事は、1日付朝刊の第3面のアタマ記事になった。「ようこそ吉田さん」「歓迎会に申込み殺到」「英・加代表らも同じ宿に」と3本の見出しがついている。

この記事は単なる雑観記事ではない。こんなくだりがある。

「太平洋戦争開始以来全く欧米との外交関係が絶たれて十年ぶりの今日初めて、しかも日本を当面の対象とする世界の大会議が開かれることとて……」。

記者たちが感慨にふける筆致がみえる。普通の日本人の多くが持った感慨だったのだろう。

記事はこう続く。

「設営に少しでも落度があっては気むずかしい吉田さんの忌憚に触れること必定だから……」。

吉田の気むずかしさに批判的な視線も向けるが、「吉田さん」という書き方には、そこに愛嬌(あいきょう)を感じているようでもある。

社会面といえども、経済に絡めた記事を載せる編集方針は当時もあったらしい。サンフランシスコ発の記事の下にこんな3本見出しの記事が載っている。「夏枯れ吹っ飛んだ『職安』」「求む燕尾服の裁断師」「講和景気でどっと求人の波」。

東北の人身売買の話を少し前に書いたが、これは東京・神田の職業安定所から取材した話である。職安といわれた職業安定所はいまはなぜか「ハローワーク」という妙なカタカナ名になっている。

■竹島は日本領と外務省言明

「講和条約」とこの物語では表記しているが、一般的にいえば、平和条約である。平和条約の目的はいくつもあるが、重要なものをふたつあげれば、ひとつは戦争状態の終結であり、もうひとつは戦争の結果としての国境線の確定である。

歴史を先取りしていえば、サンフランシスコ講和条約に署名しなかったソ連(現在のロシア)と中国とは、それぞれ戦争状態を終えるため別の方法をとった。

ソ連とは56年の日ソ共同宣言で戦争状態を終結させた。が、北方領土問題が解決していないために、平和条約はいまだ結ばれていない。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

中国との関係は、サンフランシスコ条約には中華民国、中華人民共和国とも署名しなかったため、日本は米国の意向もあり、1952年に中華民国との間で日華平和条約を結び、中華人民共和国とは78年に日中平和友好条約を結んだ。

51年9月1日付日経朝刊第3面に小さな記事がある。「竹島(島根県)は日本領 外務省言明」との1段見出しのベタ記事だ。

「(前略)竹島は昭和21年1月29日の総司令部覚書では日本の行政区域から分離されており、平和条約の最終草案にはなんら触れていないため、最近地元を中心にその帰趨が問題となっているが、外務当局は31日同島が日本の領土であることは疑問の余地がないと言明した」とある。

ちなみにこの時点では竹島は韓国の実効支配下には置かれていない。

サンフランシスコ講和条約は、すべての領土問題について明確な決着をしたわけではなかった。北方領土、竹島とも60年以上たっても決着してない。

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