日米外交60年の瞬間 第4部

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セイロン全権が名演説 帰ってきた日本(12)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

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2012/11/24 7:00
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1951年9月6日のサンフランシスコ・オペラハウスの会議場に話を戻す。午前10時9分(日本時間7日午前3時9分)から3日目の会議が始まった。

ソ連のグロムイコ首席全権が議事妨害を繰り返すのではないかと米英、それに日本の代表団は心配したが、それはなかった。

議事規則が成立したためだ。一般演説をする予定の50カ国のうちの大半が午後6時9分の散会までに終わり、スピード審議を印象づけた。

■「ソ連こそ千島返せ」とヤヤワルデネ全権

ソ連の衛星国だったチェコスロバキアを除けば、いずれも米英案を支持すると表明した。大勢は決したと取材にあたった記者たちは判断した。

当然ながら各論では異論や留保が表明された。エジプトは条約批准後に米軍が日本に駐留することに反対すると述べた。しかし署名はすると言明した。

セイロン(現スリランカ)全権の演説は出色だった。日経の木原健男特派員は「水際だった名調子でソ連の言動の矛盾を衝き、日本に深い同情を表明した」と書いた。

木原を感銘させたセイロンのヤヤワルデネ全権(この名前、現代の日本語では妙な意味に響く)の発言は次のような内容だった。

「条約は日本国民に言論その他の自由を与えるものでなければならない。これらの自由はソ連国民自身が持ちたいとあこがれているものであり、セイロン政府は対日講和についてのソ連の提案に全面的に反対である。琉球、小笠原両諸島をモスクワが望んでいるように日本に返還すべきであるならば、ヤルタ協定の結果、ソ連が保有する南樺太、千島列島をも日本に返還すべきである。インドが今度の会議に参加しなかったのは一層寛大な講和を結ぼうとしているためである」

言論の自由でソ連を皮肉り、グロムイコ提案を逆手にとって千島返還を求め、インドの態度をも解説してみせる、ヤヤワルデネ発言は、日本に対する善意に満ちている。

ヤヤワルデネは後にセイロン大統領になる。この国がスリランカに改称する以前に日本人から親しまれていたのは、セイロンという日本語のような響きに加え、同じ仏教国でもあるが、この演説への感銘が当時の日本人に少なからず残っていたためだろう。

各国全権の発言を記録しておく。当時のその国の立場、日本との関係が浮かび上がる。そしてかくも多くの諸国が対日講和会議で真剣な議論をした事実も現代の日本人には新鮮に映る。

エルサルバドルのカストロ全権は「日本の国連加盟を認めるべきだ。いま直ちに日本から外国軍隊が撤退することは日本をアジアにおける新たな反動分子の犠牲に供することになる」と述べた。

米国の中庭である中米の国であるエルサルバドル全権が米軍撤退は日本の共産化ではなく、反動化を招くと警告した点が面白い。

ノルウェーのモルゲン・スピィゲル全権の発言も、いかにも水産国らしい。

「条約には署名するが、日本の捕鯨船隊に制限が付されていないことは遺憾である。条約中に戦時中日本軍の捕虜となった連合国商船の船員に対する補償を規定すべきだ」と述べたのである。当時、日本とノルウェーは捕鯨での競争国だったが、いまは反捕鯨に対し、同じ捕鯨国として足並みをそろえる。

■領土紛争予想したエジプト全権

1951年
  12月24日
吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
   1月18日
韓国、李承晩ラインを設定
   2月15日第1次日韓正式会談始まる
   2月28日日米行政協定に署名
   4月28日対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
   1月20日
アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
   10月2日池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
  12月24日奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)

エジプトのアブドウル・ラヒム全権は「条約は日本が一部の領土に対する請求権放棄を想定しているが、その他の領土がどうなるかについては触れていない。この点の解決に当たって各国政府はそれら領土の住民の意見を考慮するものと信ずる」と述べた。

領土紛争の多い中東の代表らしい発言だが、現代の日本が抱える北方領土、尖閣、竹島のいずれも、サンフランシスコ条約で放棄した領土に含まれないとする日本の主張に対し、ロシア、中国、韓国が異論を述べる構図である。ラヒム発言は今日を予測しているともいえる。

その他の諸国全権の発言は別掲するが、オランダが民間人抑留者にこだわり、カンボジアが新たな戦争のタネをまくことは避けなければならないと述べているのが目を引く。

オランダと日本との歴史問題は長い間、両国間の懸案だったし、百万単位の人命を失ったカンボジアの悲劇は、ブレン全権の発言がその後の展開を示唆する不孝な結果になった。

(次ページに別掲記事<各国全権の演説>を掲載)

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