日米外交60年の瞬間 第3部

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講和条約案、杞憂に終わった経済制限 サンフランシスコへ(23)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/1/21 7:32
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1951年7月12日、日本の外務省は、米政府が関係国に送付した対日講和条約案を総司令部(GHQ)経由で正式に受け取ったことを明らかにし、内容を公表した。

第14条2項の一部その他に2カ所の「注」を除き、AP電が報じた内容と同じだった。日本経済新聞は1面2段見出しで地味にこれを報じ、相違点だけを書いた。

■消えた主権回復規定

北方領土の国後島市街地。老朽化した建物が多いが、色鮮やかな目新しい建物もある(2010年5月)

北方領土の国後島市街地。老朽化した建物が多いが、色鮮やかな目新しい建物もある(2010年5月)

AP電をもとにした7月11日付の日経社説に話を戻す。「講和条約の内容」と見出しを立て、その通りに内容を説明した。読めば、講和条約をめぐって当時の論説記者たちがどんな点に注目していたかわかる。

社説に何が書いてあるか、やや丁寧に紹介する。

春にUPIが報じた米国の原案は、8章20条から成るとされた。APが伝えた条約草案は、7章27条であり、1章減っている。社説は「ダレス氏と英国政府との交渉の結果と見られるが、中国問題や賠償問題で米国の原案に修正が加えられるであろうことはすでにしばしば報ぜられたところである」と書いている。

講和によって日本が完全な主権を回復することを規定した第2章がなくなっているとされる点は、現代の目では大騒ぎになりそうな問題に見えるが、社説は「その理由は不明であるが、実質的には問題ない」とあっさりと片付ける。条約の個々の条文が主権回復を裏付ける内容だったからとみられる。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

領土問題については「歯舞群島の帰属に対するわれわれの主張がいれられるのかどうか不明であるが」とまず記す。色丹、国後、択捉を含む北方四島の概念は、この当時薄かったのか、四島に触れなかったのは現在の目でみれば、論説記者のミスだった。

琉球、小笠原に関しては「米国の信託統治下に置かれることになっており、将来わが国に返還されるものかどうかは、国連の決定に待たねばならぬものとみられる」としている。米国ではなく、国連と書いた点が、この時代を感じさせる。朝鮮戦争を戦っているのも国連軍であり、当時は国連と米国との間に、いまのような認識差がなかったのだろう。

安全保障について社説は「国連との協力を規定し、将来は当然国連加入を予定しているが、集団安全保障協定の加入と特定の連合国との駐兵協定を認めると同時に、わが国自身の再軍備に対してはなんの制限もない」と指摘した。

ダレスが走り回ってつくった案だから、米国の安全保障政策と整合性がある内容なのは当然だが、社説は、当時の日本国内の空気を反映した面白い主張をしている。

社説は「講和条約では外国軍隊の駐留でも再軍備でも、禁止しないというだけで、強制しているのではないことは、講和条約自体の可否を判断する場合、区別して考えねばならぬ」と書くのである。講和条約それ自体が世論を二分しかねぬ再軍備を含むから反対すべきだとする左翼陣営の主張が念頭にあるのだろう。

■「立派な国際社会の一員に」と絶叫調の社説

英国が主張した経済制限が盛り込まれず、社説は「われわれの強い希望が通った」と安堵する。賠償問題は賠償支払いではなく、技術提供で、となったわけだが、予想される賠償を求める諸国との交渉を考え、「今後10年も20年もにわたって日本の義務となるようなことがあれば、わが国にとって経済的にばかりではなく、精神的にも耐えられぬ」としている。日本経済のその後をみれば、これは杞憂(きゆう)に終わった。

講和条約の結ばれ方にも触れ、「ソ連あるいは中国の参加によって、いわゆる全面講和が実現することこそ、われわれの最も希望するところである」と述べ、全面講和は「希望」とする、多分に建前論に響く論調である。

社説は「われわれとしては講和後立派な国際社会の一員となることによって、世界各国と友好関係を増進していくことこそ根本であるといわねばならぬ」と、現代ではありえぬような絶叫調にも聞こえる文体で結ばれている。

サンフランシスコに向け、日本も、そして世界も関心を高めていた。

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