2019年8月21日(水)

日米外交60年の瞬間 第3部

フォローする

朝鮮停戦交渉めぐる駆け引き サンフランシスコへ(18)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2011/12/17 7:00
保存
共有
印刷
その他

外交交渉は、交渉の日時や場所をめぐるところから実は始まる。いまも北朝鮮が6カ国協議で日程確定をめぐってしばしば「出席カード」を使い、米国や日本がこれを相手にしなくなって協議そのものが開催できない状態が続いているが、この種の駆け引きは珍しくない。

■沖縄で米軍が平壌放送を傍受

60年前もそうだった。停戦交渉を1951年7月10日から始めたいとする北朝鮮、中国の回答は、米側には悠長に過ぎると映った。リッジウェーは5日に予備会談を提案し、北朝鮮、中国は、8日の予備会談を回答した。一種の譲歩である。双方はこうした駆け引きで、相手がどの程度交渉を望んでいるかを推し量る。

8日に予備会談をする用意があるとの北朝鮮、中国の回答がニュースとなって流れた経緯が時代を感じさせて面白い。東京には米国の通信社APの配信で伝えられた。APのニュース源は、沖縄の米軍ラジオ受信所が傍受した平壌放送だった。

沖縄は当時、米軍施政権下にあり、日本が51年の講和条約によって独立を果たしてからも72年までその状態が続いた。このため日本の報道機関は那覇に「特派員」を派遣していた。外国扱いだったわけである。

余談めくが、朝日新聞で1960年代に那覇特派員を務めた阪中友久氏(故人、後に青山学院大学教授)によれば、書いた原稿を電報局に持ち込み、サンフランシスコ経由で東京に届けた。太陽の黒点の活動が活発になると、なぜか電報が届かなくなり、那覇特派員たちは開店休業になった。

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

沖縄が北朝鮮情報収集の最前線である事実はいまも変わらない。北朝鮮が核実験やミサイル実験をすると、嘉手納基地にはRC-135SコブラボールやWC-135が飛来する。

閑話休題。交渉をめぐる駆け引きに触れながら、当時の状況を再現してゆく。

北朝鮮、中国の公式情報を知る上では東京もまた最前線だった。7月5日付の日本経済新聞には、いまでは考えられない流れ方をしたニュースが載っている。

ニュースは全文で「東京で傍受したところによれば、北京放送も共産軍側は開城で8日予備会談を開催する用意があると放送した」との短いロイター電だが、これが東京発ではなく、なぜかロンドン発である点が面白い。当時のロイターはすべてのニュースをロンドンにいったん集めて流していたらしい。

ロイターはいまも世界的な通信社だが、51年に創立100年を迎えている。同じ日の日経1面にはロイター100年祭に出席するため、小田嶋定吉社長がロンドンに向け、出発したとの記事が載っている。ロンドンから西欧各地を回った後、米国に渡り、8月下旬に帰国とあるから、2カ月弱の旅である。

松方三郎共同通信専務理事、長谷川才次時事通信代表取締役と3人がタラップから手を振る写真が載っている。日本が国際社会に復帰しつつあるのがうかがえる。

■ロンドン発「講和条約、9月東京仮調印

朝鮮の最前線から、やはり時代を感じさせるニュースが届いている。

連合軍とも呼ばれた国連軍側は、釜山―京城(ソウル)線の某地点にある列車内に司令部を設けると消息筋が語ったというのだ。列車には寝室、応接室、食堂、浴室が備わっていると記事にはある。逆に言えば、戦争で破壊された当時の朝鮮半島には司令部を置くような施設がなかったのだろう。

当時の日本にとって朝鮮戦争の停戦交渉は、安全保障の観点から関心があったのは当然だが、もっと大きかったのは、それが講和条約署名の日程に影響を与えるかどうかだった。

日本時間の4日、ロンドンからこれに関連するニュースが入ってきた。UPI電で英国政府筋が9月に東京で対日講和条約への仮署名がなされると語ったというのである。

それによれば、対日戦に参加したすべての国はダレスと英仏両国との協議を通じて一致した条約草案を既に受け取っており、これら諸国が受諾すれば、東京で9月に仮署名となるという。米英両国は朝鮮の停戦交渉が対日講和条約締結を妨げてはならないと決意している、ともこの筋は述べている。

さらに興味深いのは、この筋によれば、ソ連、中共(ママ)が朝鮮で停戦への動きをみせたのは対日講和条約を遅らせようとしたためとの説に触れた点である。ソ連は会議には招待されるが、参加しないだろうとも述べている。

対日講和は冷戦の文脈で扱われていた。そのメインストーリーのひとつだったのだ。

日米外交60年の瞬間をMyニュースでまとめ読み
フォローする

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ連載トップ


日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報

新しい日経電子版のお知らせ

より使いやすく、よりビジュアルに!日経電子版はデザインやページ構成を全面的に見直します。まず新たなトップページをご覧いただけます。

※もとの電子版にもすぐ戻れます。