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難産へて地デジ化した米国 日本が生かす2年前の教訓

ITジャーナリスト 小池 良次

米国は2009年6月に地上テレビ放送がデジタル化(地デジ化)したが、移行までに2回の延期を経るなど、実現までには曲折(きょくせつ)があった。そのなかで政府やメーカー、テレビ局のそれぞれの思惑から生まれる摩擦や、テレビ受像機の入れ替えによるユーザー負担への対応など、様々な課題に直面してきた。米国から2年遅れで7月24日に地デジ化する日本は米国の教訓をどこに生かせたのか。

日本規格への反発で始まった米国の地デジ移行

そもそも地デジ化への取り組みは、1980年代の日米欧による高品位テレビ(HDTV)規格競争にまでさかのぼる。米国は、NHKを中心にアナログによるHD放送(MUSE規格)技術を確立した日本に対抗する意味で、90年代前半に実用レベルに達していないにもかかわらず「デジタルHD放送(ATSC規格)技術を採用した」と言われている。日本の技術規格を採用したくない米国政府や機器メーカーの意向が地上デジタル放送導入の引き金となり、10年を超える地デジ移行プロジェクトが動き出した。

地デジに積極的な政府や機器メーカーの意向に反して、米テレビ局はデジタル化に当初から消極的だった。テレビ業界に「HDテレビ受像機が高い」「広告収入の増加が見込めない」「デジタル化による新サービスが見えない」などの不安が広がったためで、地方テレビ局を多数抱える業界団体の「NAB(全米放送事業者協会)」は、デジタル移行を進めようとする連邦議会や連邦通信委員会(FCC)と厳しく対立した。

高画質映像に関心が低かった米国の消費者

たとえば地デジで使う周波数免許の交付では、当初は競売形式が有力だった。携帯電話事業者には94年に導入された周波数競売で多額の費用を支払わせていたため、放送事業者にも競売させるのが公平と考えていた。しかし、米テレビ局は競売に反対した。

当時、ワシントンでは60年ぶりに米国通信法の大改正作業が進んでおり、地デジ免許問題は96年に改正された通信法の重要な争点となった。NABの激しいロビー活動が続くなか連邦議会は改正通信法の早期成立のため、「アナログ放送帯域の返却」を条件にテレビ局に無料でデジタル放送用の周波数帯域を提供する大幅な譲歩を行った。

次いで、99年にはHDTVの商業実験放送が始まったが、実験に対する視聴者の反応は冷たかった。当時で数千ドルもするHDTV受像機は売れず、スポーツバーなどの商業施設でしか地デジHD放送は目にできなかった。業界では「スポーツバーのお客が見たいと言うと、店員がテレビ局に電話してHD放送を流してもらうんだ」といったジョークが飛び交うほどだった。

実験放送の不調は、米国の消費者のテレビに対する考え方を示していた。オーディオ機器やビデオ機器に高い品質を求める日本人は、機器の買い替えやコンテンツの購入に多くの費用を投じる。米国では高い費用を払ってまで高い品質を求めるのはごく一部のマニアにすぎない。

 インターネットの普及によって、消費者がネット・サービスに大きな関心を持っていたことも実験の足を引っ張った。HD放送を見るために高価なテレビを買うより、パソコンやブロードバンド接続にお金を回すことは明らかだった。

「メリットがない」地デジ移行への意欲を失うテレビ局

地方テレビ局は「広告収入の伸び悩み」や「視聴者のテレビ離れ」に悩まされ、地デジ化への投資は遅れ続けた。放送局の地デジ対応目標だった03年になっても、地方局約1300のうち約900局がFCCに整備延長申請を出す状況だった。比較的に経済状況がよい主要都市のテレビ局でも期限を守れない局が続出した。

こうした状況に連邦議会は焦燥感を深め、懲罰的な法案をちらつかせてアナログ放送の早期終了への対応に圧力を加えた。こうして04年中ごろからテレビ局の地デジ化への投資が動き出し、04年9月時点で1340局が実験を含めてデジタル放送を開始していた。

その一方で、今世紀に入って米国内の地デジ移行の目的は大きく変わった。

第3世代携帯電話の登場によってデータ通信の利用が広がり、携帯電話業界では周波数帯域の不足問題が深刻化していた。テレビの地デジ移行によって"空き地"となる700MHz帯を次世代無線ブロードバンドに回すことが重要な課題となった。次世代無線ブロードバンド用の周波数確保は、日本でも地デジ移行の重要な目的となっている。

しかし「携帯電話向けの周波数確保」は、テレビ局にとってなんらメリットがない。目的がHD放送への移行を中心とする「放送サービスの高度化」ではなく、携帯電話用の周波数確保へと変わったことで、放送局の地デジ移行への意欲はますます損なわれていった。

06年は間に合わず09年に期限を先送り

05年には大部分のテレビ局が地デジ対応を完了したが、それでもデジタル放送移行法で定められていた「06年のアナログ停波」の目標達成は無理だと思われた。当時はデジタルテレビやチューナーの普及率は1%から2%程度と推定されており、法律で定めていた停波条件「普及率85%」にはほど遠かった。

FCCはこの難局を乗り越えるために、新たな手法を繰り出した。当時のFCCメディア局のケン・フェリー局長が提唱したため、俗に「フェリー・プラン」と呼ばれる同案の特徴は、次の3点に集約される。

(1)移行期限を09年に延期する

(2)CATVや衛星放送を通じた放送もデジタル放送と計算する

(3)マスト・キャリー法は、デジタル放送だけを対象にする

マスト・キャリー法 CATVや衛星テレビ放送がその地域の地上波の番組を必ず再送信(must carry)するよう義務づけた法律。この義務をデジタル放送に拡張すれば、デジタルテレビ受像機の普及に拍車がかかる。

特に、(2)のCATVや衛星放送のアナログ受信世帯も「デジタル放送と計算する」という点は周囲を驚かせた。米国では、8割以上の視聴者がCATVや衛星放送などの有料サービスを利用している。これら有料サービス事業者がアナログサービスを提供する限り、地デジ放送がはじまってもアナログテレビを買い替える必要はない。そのため、ユーザーはアナログテレビを使い続け、デジタルテレビの普及率85%は絶望視されていた。フェリー・プランでは、デジタル放送の再送信はアナログ変換されても「デジタルテレビ受信者に数える」と提案した。

 この奇策ともいえるフェリー・プランに、連邦議会も賛同したわけだが、その背景には当時の重要法案だった国家安全緊急対応法と連邦財政均衡法の影響があった。ただ、この点については説明を省略する。

08年の大統領選で救済進むものの再延期

フェリー・プランのおかげで、アナログ停波は2009年2月に目標を延期して再起動した。しかし期限が近づくにつれ"様々な課題"が浮かび上がり、停波は直前に再々延期されることになる。

連邦政府がアナログ停波告知のために用意した予算は2000万ドル(当時の換算レートで約20億円)に過ぎず、具体的な告知広告は各テレビ局の自発的負担に依存した。テレビ局側は多額の無料広告予算を確保していると口にしながら、停波告知は08年後半まで十分に行われなかった。

もうひとつの問題は、停波に伴う救済措置。特に約600万世帯と予想されるアナログ放送だけしか視聴できない世帯への対策だった。この世帯は、低所得層および最寄りのアンテナから距離が遠い地域に集中している。08年は大統領選の終盤であったため、各政党は救済に積極的な姿勢を示さざるを得なかった。

救済策の目玉は商務省によるクーポン・プログラムだった。デジタル/アナログ変換コンバーターの購入を補助する同プログラムは、1口40ドルを1世帯2口まで補助し、利用期限を90日間としていた。電話やファックス、郵便やホームページなどで申し込むことができた。

申し込み受付は停波期限の1年前に始まったが、08年末から09年初頭に集中し、電話センターがつながらないなどの騒ぎが起こった。非難を浴びた商務省、FCC、放送局は対応に奔走した。応募数は予想を上回り、09年1月に交付予算を超え、発行待ちが200万件を超える事態になった。

皮肉なことだが、09年春に当選したバラク・オバマ大統領の最初の仕事は、残務処理ともいえるアナログ停波の再延期だった。オバマ大統領は議会に再延期を働きかけ、米連邦下院は停波期限(09年2月17日)を目前にした2月4日に264対158でアナログ停波の延期法案を可決した。オバマ大統領はすぐさま新法に署名し、アナログ停波を4カ月先送りした。米国景気対策法の一部として、クーポン予算も追加した。

やや強引な方法を採り入れた日本

09年6月に完了した米国のアナログ停波、地デジ移行は多くの難局を乗り越えて実現した。こうした米国の経験は、日本における地デジ移行に教訓として生かされた。

たとえば日本では告知作業で「画面の端に地デジ移行告知を黒幕で入れる」という、やや強引な方法を実施した。米国ではFCCがテレビ局に対応を任せたが、日本は"地デジ化推進"の音頭の下、各テレビ局が協調して告知にあたった。番組視聴に割り込む場面もあるが、地デジ終了の認知を高めるうえでは十分な効果を発揮した。

米国の地デジ移行は、当初予定から大幅に遅れてようやく実現したわけだが、移行が終わった後は消費者のデジタル放送に対する関心は低下した。なぜデジタル放送は期待されたほどのインパクトを消費者に与えられなかったのか。次回は地デジ移行後の米地上テレビ業界について、こうした観点から解説してみたい。

小池良次(Koike Ryoji)
 米国のインターネット、通信業界を専門とするジャーナリストおよびリサーチャー。88年に渡米、93年からフリーランスジャーナリストとして活動している。サンフランシスコ郊外在住。主な著書に「クラウド」(インプレスR&D)など。

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