2019年9月16日(月)

日米外交60年の瞬間 第3部

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講和で分裂する社会党 サンフランシスコへ(36)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

2012/4/21 7:00
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1951年夏の時点で対日講和条約をめぐって揺れたのは、自由党、民主党だけではない。より深刻だったのは社会党である。

ソ連、中国も含めた全面講和を求めた社会党は、多数講和が有力となった現実を受け入れるべきかどうかで講和条約反対の左派と賛成の右派が対立した。右派の河上丈太郎の追放解除は、社会党内の力学に少なからざる影響を与えた。

■分裂勧める日経社説

当時の社会党委員長は左派の鈴木茂三郎である。鈴木は講和3原則を唱えていた。全面講和、中立堅持、軍事基地反対がそれである。3原則に従えば、サンフランシスコで結ばれる講和条約に賛成するわけにはいかない。

一方、右派は講和には賛成し、安保条約には反対するという考え方だった。民主党と同じである。であれば、民主党がそうするように、サンフランシスコに社会党を代表する全権を派遣することになる。「挙国一致」をめざすとすれば、それが望ましい。

しかし社会党内の合意づくりは簡単ではなかった。左右両派の主張は水と油ほどに違ってみえた。それは当然である。右派の目指す社会主義は英国労働党のような姿であり、左派にとってはソ連、中国のような体制が社会主義だった。

冷戦下である。対日講和は日本全体にとり、自由主義陣営に入るという体制の選択を意味した。社会党右派にとってそれはさほどの抵抗はなかったのかもしれないが、左派にとっては絶対に認められない話だった。

1951年8月7日付日経は「注目される社会党の態度」と見出しをつけた社説を掲げた。見出しだけみると、主張を前面に出すのではなく、解説に重きを置いたようにもみえる。

が、実は相当激しい内容である。当時もいまも2本の社説を掲げるのが普通だが、この日はこの社説1本で通している。このテーマを論説陣が重要と考えているとのメッセージである。

まずこう迫る。

右端が河野密=毎日新聞社提供

右端が河野密=毎日新聞社提供

「社会党はあくまで三原則を主張して、それが容れられなければ、反対運動を起してでも講和条約の調印、批准を阻止しようというのか、あるいは三原則を希望として主張するが、どうしてもその希望が認められない場合は次善のものとしてでも今度の条約を承認するというのか」

さらにこうも書く。

「左派がもし三原則を絶対のものとするならば、右派とは根本的に相容れないであろう。その場合は分裂も避けられない。一番悪いのは分裂を避けるために、あいまいな態度を続けて国民を迷わすことである。(中略)左右の対立もここまで来ればもはや党内派閥の争いとしてだけ見るわけにはいかない」

要するに社会党分裂の勧めである。

このような中身ならば、いまなら「社会党は分裂を恐れるな」といった見出しがつくのが普通だろう。あえてそれを避けた、一見穏健な主張にみせるのも、当時の「社説文学」だったのだろう。

さて追放解除が社会党に投じた一石はどんな波紋を広げるのだろう。実は投じられたのは一石ではなかった。追放解除された社会党の大物は、河上のほかにも河野密、松本治一郎がいた。

河野は河上と同じ知識人型社会主義者だった。一高・東大法学部卒で朝日新聞記者も経験し、旧日本労農党出身の右派の有力者だった。松本は部落解放運動の指導者であり、左派だった。

■河上、河野の復帰で右派・中間派結束か

1951年
4月11日
トルーマン大統領がマッカーサー元帥を連合国最高司令官、国連軍最高司令官、米極東軍・極東陸軍総司令官から解職。後任にリッジウェー中将
4月16日ダレス特使再来日
6月20日日本政府、第1次追放解除を発表
8月6日日本政府、第2次解除を発表。鳩山一郎ら追放解除される
9月1日米、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋安保条約に調印
9月4日サンフランシスコ講和会議始まる
9月8日吉田首相、対日講和条約、日米安全保障条約に調印
12月24日吉田首相、ダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)

当時の社会党の基礎にあるのは労働組合などの組織であり、人が大きな要素を持つ自由党とは違った。自由党では鳩山一郎の復帰が吉田体制に揺さぶりをかけると予想されたが、それに似た影響があるとは思われていなかった。

しかし政界とは人の世界である。

河上、河野とも政治家として一定の器量のある人物だったから、右派と中間派とをまとめる役割を期待された。同時に、大政翼賛会参加などの前歴があったのだから自重すべきだとの党内世論もあった。

大物の追放解除、講和条約……。分裂を前にした不気味なうごめきが社会党内では始まっていた。

野党である社会党の動きは、日米関係に直接関係がないように思われがちだが、そうではない。質問内容や審議拒否などの国会での社会党の戦術は、政府・与党が特に日米安全保障関係を考えていく上で大きな要素だった。

憲法9条を掲げた社会党は様々な政策について事実上の拒否権を持っていた。そこをどうかいくぐるか、自民党政府と外務省は腐心した。それは例えば2010年の外務省の密約調査で当時の外交文書が明らかになって裏付けられる。

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