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悲しい記憶を乗り越え 夕張再生の芽生え

夕張市長 鈴木直道(6)

夕張市が財政破綻した原因は一つではありません。ただ、最も大きな原因は国のエネルギー政策の転換です。「石炭から石油へ」と転換した結果、北海道最大の生産量を誇った炭都夕張から炭鉱の火が消えました。石炭産業の代わりとして、「炭鉱から観光へ」を合言葉に観光振興などに多額の財政支出を行ったことも一因です。この2つの負の遺産は今もなお夕張を苦しめているものの、一方で転換期を迎えて新しいエネルギーになろうとしています。今回は、再生に向かう夕張の新しい取り組みを紹介したいと思います。

鈴木直道(すずき・なおみち) 1981年埼玉県生まれ。1999年東京都入庁。2004年、都庁に勤めながら4年で法政大学法学部法律学科を卒業。2008年夕張市へ派遣。2010年11月、夕張市市長選の出馬を決意し東京都庁を退職。2011年4月、夕張市長に就任(写真 編集委員 嵐田啓明)

ガス=危険なもの

夕張の歴史は、石炭の発見から始まりました。明治時代に夕張川上流で地質調査が行われた結果、石炭層があることがわかったのです。その後石炭の大露頭(鉱脈)が発見され、炭鉱ができ、働く人が集まり、商店街ができ……と、夕張は大きな発展を始めます。当時、傾斜生産方式により基幹産業である石炭産業には、国策として資材や資金が重点投入され増産されました。なかでも夕張は良質な原料炭が採れ、「黒ダイヤ」とも呼ばれていました。最盛期だった1960年代には17の炭鉱があり、従業員だけで約1万6千人が働いていました。当時の人に話を聞くと、まちのすべては炭鉱を中心に動いていたそうです。

もっとも炭鉱で働くということは、ガス突出・爆発やそれに伴う坑内火災などいつ起きるとも分からない事故におびえながら働く、死と隣り合わせの危険な仕事でした。私は職業柄かつての炭鉱マンから話を聞く機会も多いのですが、仕事に向かうときは二度と会えないかもしれないと水杯(みずさかずき)を交わして向かっていたと聞きました。なかでも81年に起きた北炭夕張新炭鉱ガス突出事故は、最終的に93人が亡くなる大惨事となりました。燃え続ける炭鉱を守るため、まだ坑内で家族が生きているかもしれないという状況のなか、炭鉱会社が残された家族を説得し、同意書を取り付け、坑内に川の水をサイレンとともに注水したのです。

まさに命がけで守ってきた炭鉱ですが、事故の前から炭鉱には陰りが見えていました。62年の「原油の輸入自由化」をきっかけとして国はエネルギー政策を「石炭から石油へ」と転換します。石油がエネルギーの中心にかわるとともに、石炭はより安価な海外炭へと切り替わり、国内炭の需要は減り炭鉱は閉山に追い込まれていきました。炭鉱を守るために川の水を注入した夕張新炭鉱も、事故の翌年に閉山しています。ガスは、今でも夕張の人たちにとって、生々しい記憶の残る怖いものです。良質な石炭がとれる場所とガスは切っても切り離せない関係なのです。

命奪った原因を生きる糧に変えて

「悲しい記憶」の残る「ガス」こそ、夕張の新しいエネルギー源になる可能性を秘めた「炭層メタンガス(CBM=コールベッドメタン)」なのです。昨年から、札幌のNPO法人「地下資源イノベーションネットワーク(URIネット)」が、「悲しい記憶」を伴うガスを「新エネルギー」として活用しよう、と動き始めました。

CBMは、地中に埋まった樹木が石炭になる際に発生したガスが炭層に残ったものです。夕張を含む石狩炭田には、日本で最も多くのCBMが埋蔵されており、そのなかでも夕張には約77億立方メートルものCBMがあるといわれています。現在、日本の天然ガス生産量は約33億立方メートル(2011年)で、自給率はわずか約4%。ほとんどを輸入に頼っています。世界ではシェールガス革命などにより天然ガスの価格が下落しているのに、日本は産出国から足元をみられるかのごとく高い価格でガスを輸入しているのが現状です。

一方で、夕張にある約77億立方メートルのCBMをわかりやすく言い換えると、夕張の全世帯(約5600世帯)が1年間に使用する電気や灯油などのエネルギー量で約1500年分になるといわれます。

CBMが多く埋蔵される清水沢地区の山をのぞむ

一番の課題は試掘。CBMの埋蔵量などについて事業化する前に、より正確なデータを取ることが必要だからです。ただ、試掘する費用が日本は海外と比べ高く、1000メートル程度を1本掘るのに約1億円のコストがかかるとされています。お金をどのように工面するかが現在の課題です。

このエネルギーをもとに夕張に新たな企業が集まり、雇用が生まれ、安い電力が市内の企業や家庭に提供される。かつての炭都夕張と違い、エネルギーの生産地にとどまらない、地域資源の地産地消は夕張再生の大きな力になると思います。夕張市は事業主体として電気などをつくって売るわけではないのですが、地域エネルギーの買い取り制度の創設や豊富にある市有地の提供などの支援を考えていて、かつて命を奪ってきたガスを今の世代、そして次の世代の希望の光にしたいと思っているのです。

ズリ山を再生

再生する力というと、最近もう一つ可能性が出てきました。夕張にはいたるところに植物の生えていない真っ黒な山、通称「ズリ山」(主に九州の炭鉱跡地では「ボタ山」という)があります。石炭を掘った捨て石をうずたかく積んだ山で、使い道がないだけでなく自然発火する危険や土砂崩れの危険もある、いわば「厄介者」でした。このズリ山を去年から「売れる」財産と発想を転換し、ズリ採取事業を開始しました。

選炭技術が発展していなかった古いズリ山ほど、石炭が多く含まれています。主に製紙会社など大きな火力を使う企業は、熱を上げすぎないよう調整するため、ズリに近い石炭を海外から買っていました。そこで、その海外炭に代わり、安価な夕張のズリを売ることを考えたのです。市は申請のあった業者にズリを採取することを許可していて、15年から20年までで約3000万円の新たな歳入を見込んでいます。採取業者にはズリを取った跡地に植物を植え緑化するところまで依頼しています。新たな収入になり、土砂崩れの危険も減り、最後は緑化事業につなげる。一石二鳥どころか、一石三鳥の新しい発想です。

最高の動員数を数えた映画祭

「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の開会式に出席した脚本家の宮藤官九郎さん(左から2人目)ら(27日午後、北海道夕張市)=共同

今月3日に、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が閉幕しました。来年25回目を迎える映画祭、今年は財政破綻後、最高の観客動員数となる1万3900人を数えることができました。実は映画祭も財政破綻の影響を受け、07年には一度休止に追い込まれました。

この映画祭は、夕張の「負の象徴」とみられてしまったところもありました。映画祭は88年から89年にかけて当時の竹下登首相のもと各市町村に支給された「ふるさと創生一億円事業」を原資に始めた市の事業で、主に市役所の経費で実施してきました。厳しい財政状況のなか、1億円以上のお金をかけた年もあるなど市の一大事業でした。

炭鉱が衰えてから夕張は「炭鉱から観光へ」を合言葉に、レジャー施設を建設して観光地化することで財政を立て直そうとしました。今も残る「石炭の歴史村」とマウントレースイスキー場、既に閉鎖・解体した遊園地(アドベンチャーファミリー)、知られざる世界の動物館などです。90年には積極的な観光政策が北海道再生のモデルとされ、自治相(現総務相)から表彰もされました。

もっとも現在は表彰をいただいた総務相の管理下にあるわけで、皮肉なものです。バブル崩壊などにより観光施設は経営が行き詰まり、大きな借金を抱えることになります。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭はその象徴であるといわれました。破綻後、市はこの映画祭の中止を決定したのです。

この決定を受け、有志がNPOとして立ち上がり(現在のNPO法人ゆうばりファンタ)、現在の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が生まれました。こうした歴史があるため、復活後も北海道やマスメディアが協賛や後援をしているのに市は「後援」もしていませんでした。市を代表する大きなイベントなのに、市が名前を連ねていないのはおかしい、と私が市長になった翌年から、「後援」としてやっと名を連ねるようになったのです。

今でも、市がお金を出しているわけではありません。運営しているNPO団体が企業を回り、シンポジウムとセットにするなど工夫して地道に協賛金を募っています。毎年6000万円程度の経費がかかっているのですが、今のところ、NPOのメンバーが一からセールスすることでなんとか運営されています。

アットホームな映画祭

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の最大の魅力は、「アットホームさ」に尽きます。映画祭にきてくださった方には「おかえりなさい」、終わって送り出すときは「いってらっしゃい」と声をかけます。なかでも夕張ならではのおもてなしで一番人気なのが「ストーブパーティー」です。

冬のとっても寒い夜に外で石炭ストーブをたいて、肉や魚介類を焼いたり、キノコ汁をすすったりしながらお酒を飲んで楽しみます。招待された映画監督や俳優らもストーブを囲み、ファンの皆さんと一緒に語らいます。とっても寒いので自然と人と人との距離が近くなります。市の職員もボランティアとして手伝いながら、夕張市民として一緒に楽しむ。パーティーの資金源は、参加者の募金。募金箱に入れるお金は極端な話1円でもいいのですが、これまで3年連続で黒字になっています。

オフシアター・コンペティション部門のグランプリを受賞し、喜ぶ竹葉リサ監督(中央)(2日午後、北海道夕張市)=共同

そもそも、映画祭のメーン会場のそばにはホテルが2軒しかなく、飲食店も限られています。映画の関係者も、来場者も同じ場所に宿泊し、食事やお酒を飲むことになります。監督や俳優も同じ居酒屋にいて、数時間前に見た映画の感想を監督や俳優に対して直接伝える風景が自然に見られます。東京では考えられないことでしょう。

今回の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のコンセプトは「Fantastic People」。「ニューウェーブアワード」を新たに設け、映画界に新しい動きをもたらした人を表彰しました。クリエイター部門に「あまちゃん」の脚本家、宮藤官九郎さん、俳優部門に「ごちそうさん」でおなじみの東出昌大さん、CMや映画に出ている武田梨奈さんが選ばれました。女優の常盤貴子さんも招待され、居酒屋でファンの方と交流されていたようです。俳優の斎藤工さんは審査員として参加してくださり、会期中ずっと夕張にいてファンの方と交流されていました。

歴史に学んでほしい

夕張は観光振興に手を広げすぎて借金がかさみ、破綻した側面もあります。それ以前に国のエネルギー政策の転換による炭鉱の閉山によって大きな借金を抱えることになったことも事実です。

現在、国のエネルギー政策を巡り「脱原発依存」など議論されています。ただ、政策を進める際には、過去の産炭地の歴史に学んでほしいと思います。夕張のほか福岡県赤池町(現在の福智町)もかつて産炭地で、91年度に財政再建団体となりました。このような市町村が出ないことを、心から願っています。

夕張は破綻から8年目を迎え、ようやくつらい過去の歴史を新しい力に変えようという取り組みが実を結び始めたと感じています。市民の力で生まれ変わった「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が、破綻後最高の動員数を迎えられたことは、本当にうれしいニュースになったと感じています。

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