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男一人旅 加賀百万石の城下町、やっぱり金沢は「粋」

 金曜日の朝8時15分、羽田発小松空港行きのANA便。いつものごとくスーツ姿の出張族が、続々と機内へ吸い込まれていく。自分も同じように、搭乗ゲートを抜ける。今日は11時から、金沢の得意先と商談があるのだ。いつもは会社へとんぼ返りだが、今回は金曜日。自費で宿泊し、土曜の最終便までの1日半を、旅にしてしまうつもりだ。加賀百万石の城下町の、情緒に浸る旅。さてさて、どんな楽しみが待っているのだろうか……。

兼六園で「対照の美」を知る

打ち合わせを終え、金沢の得意先を出たのは午後2時。日はまだ十分に高い。今日これからの時間と、明日土曜の1日は、何ものにも煩わされなひとりの時間である。早速、兼六園に向かう。定番の観光地だが、自分は一度も行ったことがないため、少々引け目を感じていたのである。

着いてみると、さすがに広い。まるで日比谷公園のようだ。これが大名庭園というものか。苔に囲まれた散策路あり、池あり、築山あり、御亭(おちん)ありの景色は変化に富み、散策していて気持ちがいい。

受付でもらったパンフレットを読むと、庭園名の由来は、「『宏大・幽邃(ゆうすい)、人力・蒼古(そうこ)、水泉・眺望』の六勝を兼ね備えているから」とある。なるほど、だから兼六園なのか。とはいえ、いまひとつピンとこない。そこでスマートフォンで、こっそり検索。

そして知ったのは、明るく開放的な「宏大」と、静寂で奥深い「幽邃」とは相反する景観ゆえ、庭園内に共存させるのは困難だったということ。それは、「人力」と「蒼古」、「水泉」と「眺望」にしても同様らしい。兼六園の素晴らしさは、これら相反する景観を見事に共存させたところにあるようだ。つまり、"対照の美"を演出したというわけだ。

兼六園のシンボル、徽軫燈籠(ことじとうろう)。ネーミングにセンスの良さを感じる

そう言われれば、足元にある池や曲水などは「水泉」。そこでひょいと顔を上げれば、能登半島や内灘砂丘などの「眺望」がある。それから、うっそうとしている瓢池(ひさごいけ)周辺の景色は、「蒼古」だな。それに反し、琴柱のように足が二股になった徽軫燈籠は「人力」。なるほどなるほど、これは面白い。

緩やかに流れる曲水に沿って、かきつばたや桜など季節の花が咲く

自分勝手に六勝を解釈しながら散策しているうち、庭園のことが、ちょっと分かってきたような気がするから不思議だ。歴代藩主の前田公も庭師を相手に「あそこが宏大、ここが幽邃であろう」などとやっていたのだろうか。なかなか粋な遊びではないか。

さあこれは「水泉」か「蒼古」か、はたまた「幽邃」か……

見習いたい金箔職人の「粋」

天下の名勝で少し賢くなった後は、金箔専門店の箔座本店へ向かう。金沢が金箔で有名だと聞いていたので、のぞいて見たかったのだ。兼六園からは、タクシーで10分ほどだった。

店に入ると早速、店員さんが案内をしてくれる。まず案内されたのが、豊臣秀吉の茶室をモデルに約4万枚の金箔を使ってつくり上げた「黄金の茶室」だった。金沢は、金箔の全国生産量の99%を担う"金箔王国"なのだとか。京都金閣寺や平泉中尊寺金色堂を覆う金箔も、すべて金沢産だと初めて知った。

ゴージャスな黄金の茶室。奥に見える黄金の茶釜は6000万円なり(時価)

金沢で金箔製造が盛んになったのは、湿度や温度、水質が金箔の製造に適していたことと、加賀藩前田家の文化振興策により工芸が盛んで金箔の需要が多かったことなどが大きかったという。ところが、江戸時代は幕府の「箔打ち禁止令」で、金箔製造は江戸と京都に限られていた。それでも人知れず、金沢箔の技術は受け継がれたらしい。幕府滅亡とともに統制も撤廃され、日の目を見た金沢箔は、今や全国区。耐え忍んだ職人たちの思いも、浮かばれたことだろう。

それにしても、茶室には「わび寂び」や「簡素」というイメージを抱いていたのだが、目の前に再現された茶室のキンキラキンぶりは、どうだろう。この、常人の理解を超えた感性こそが、秀吉を天下人に押し上げたのだろうか。

箔座本店では、金箔の製造工程も見学できる。訪れた時は、「上澄」といわれる1000分の1ミリの薄さの金を、箔打紙に1枚1枚挟んでいく作業が行われていた。70歳は超えたと思われる職人の手際は、まさに熟練の技。金箔の薄さは、最終的に1万分の1~2ミリになるというから驚きだ。芸術的な手さばきに感嘆していると、店員さんが言う。「昔の職人は、こうして使い古した箔打紙を、ひいきの芸妓(げいぎ)にあげていたんですよ」。

5円玉と同じ重量である3.75グラムの金合金から、畳約1畳分の金箔が作られる

古紙を芸妓に、何のために……。聞けば、使い古しの紙は化粧の上から皮脂を吸い取るのに、非常に優れているのだそうな。いわゆる、あぶらとり紙だ。あぶらとり紙といえば京都のイメージが強いが、実は、金沢の金箔が深く関わっていた。「京都で有名なあぶらとり紙も、今では多くが金沢産なんですよ」。へえ、知らなかった。

江戸時代の金沢の職人たちは、何と粋なプレゼントをしていたのだろう。自分もぜひ見習いたいものである。

夕暮れの茶屋街で芸妓の後ろ姿にほれる

箔座本店を出ると、すでに夕暮れ。火灯し頃の花街の風情を楽しむべく、箔座本店からも近い、ひがし茶屋街へ徒歩で向かった。金沢には3つの花街が残り、その中でひがし茶屋街は最大だそうだ。

ひがし茶屋街は国の重要伝統的建造物群保存地区。現在も8件の茶屋が営業し、14人の芸妓が在籍する

黒瓦に出格子の茶屋が軒を連ねた、石畳の通りに足を踏み入れる。ガス灯の明かりと、格子戸から漏れる光が照らす通りの風情は格別。おや、どこからか聞こえてくるのは、三味線の音だろうか。これぞ茶屋街情緒の醍醐味だ。使い古しの箔打紙を懐手に、ひいきの茶屋へ足を運んだ箔打ち職人たちも、きっとこの音を聞いたのだろう。

軒を並べる建物は、1階よりも客間となる2階のほうが天井が高く、通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けている。これが茶屋建築の基本のようだ。土産物やカフェなどに転用されている建物も多いが、それでも江戸情緒は満点。

ひと気の少ない路地裏散策の途中で目にしたのが、芸妓さんの後ろ姿。それを眺めながら、男たるもの、一度はお茶屋遊びで粋を気取ってみたいもの、と思う。とはいえ「一見さんお断り」のハードルは高い。せめてその雰囲気だけでも味わうべく、夜の食事処として選んだのが、ひがし茶屋街の入り口に建つ加賀会席の「螢屋」。紅殻色の茶屋建築が、周囲の中でひときわ目を引く。

ひがし茶屋街で存在感を放つ螢屋の建物には、ほとんどの観光客がシャッターを切る

店構えと店頭の品書きにひかれ、予約もせずに訪問したが、「おひとりさまですね、こちらへどうぞ」の声にホッとする。案内されたのは、簡素にして趣味の良いカウンター席。茶屋の姿そのままの外観に比べ、内部はやや現代風にアレンジされてはいるが、それでも歴史の重みが感じられる。

目の前で働く若い板前さんたちの作業をさかなに、ひとり気兼ねなく会席料理を楽しむ。この店では事前に申し込めば、芸妓を呼んで座敷遊びができるという。次回は得意先の人たちとともに芸妓を頼み、粋な旦那衆でも気取ってみようか。先ほどの芸妓の後ろ姿を脳裏に浮かべながら、そう思った。

夜更かしは茶屋ならぬ隠れ家バーで

心地よく腹を満たすと、本格的に腰を据えて飲みたい気分になってきた。どこかこの辺りに雰囲気のいいバーはないか。金沢では香林坊近くの片町にバーが多いと聞いているが、そこまで出かけるのは少々面倒だ。タクシーに乗って行くのではなく、夜風に吹かれながらぶらぶら歩いて近場で、というのがいい。

そういえば、前回の出張で鍋の名店「太郎」で食事をした際、もうひとつの茶屋街である主計町に、粋なバーがあると教えてもらったっけ。主計町なら、ひがし茶屋街からは目と鼻の先である。そこに行こう。

主計町の茶屋街も国の重要伝統的建造物群保存地区。かつては遊郭としても賑わったともいう。茶屋は4軒、芸妓は12人

ひがし茶屋街から浅野川に出て、対岸の主計町を眺める。ガス灯が水面に光を落とし、いいムードだ。浅野川大橋を渡って茶屋街に入れば、川沿いに茶屋建築がずらり。ひがし茶屋街とは異なり、多くが現役のお茶屋や料亭のようだ。

目当ての「Bar一葉」は、細い路地裏の一角にあった。築200年の茶屋建築の2階を改装したもの。アプローチから店内に至るまで、上品で洗練された雰囲気だ。場所柄、観光客にはほとんど知られていないという点も好ましい。とはいえ、もし紹介ではなかったら、自分もひとりで入るのは気後れしただろう。

Bar一葉のカウンターは掘りごたつ式。座敷も含め、店内では靴を脱いで飲めるところがリラックスにつながる

気さくなマスターに伴われ、カウンターに収まる。この店は別棟が現在もお茶屋で、マスターは女将の息子さんだという。常連客にあいさつをするため、時折顔を出す女将が、自分にも向けて「どうぞごゆっくり」と、艶やかに一言。よし、これで常連客の仲間入りだ。

グラスを傾けるうち、店内はほどよく混んでくる。ひとり客は自分だけだが、この居心地の良さはなんだろう。若かりし頃は、こんなオシャレな店では女性のパートナーが必須だったが、いやはや変わったものである。そうだ、酔いつぶれないうちに、マスターに聞いておこう。

「マスター、明日は寿司を食べにいきたいんだが、とびきりうまい、お薦めの寿司屋を教えてくれるかい?」

ひとり酒のあまりの心地良さに、グラスを重ねつつ金沢の夜は更けていった

出張先で居心地のいい"隠れ家"を発見した自分は、なかなか粋なのではないかと、ひとり悦に入りながらグラスを重ねる。今日も兼六園といい箔座といい、感じたのは「粋」だった。そういえば前田利家公も、昔にしては珍しい身長180センチの偉丈夫で容姿端麗、文武に秀で、豪胆にして気配りの人だったと聞く。暴れん坊のかぶき者から、百万石の名君にまで上り詰めたのだ。さぞや粋なご仁だったに違いない。そんな利家公ゆかりの金沢で、明日はどんな粋を感じられるだろうか。楽しみだ。

(ライター 笹沢隆徳、写真 土屋明)

[JAGZY 2013年5月23日付の記事を基に再構成]

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