2019年8月17日(土)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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ロッキード事件、三木降ろし失敗 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(7)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(3/3ページ)
2012/9/16 7:00
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三木・椎名会談は双方と懇意な灘尾弘吉総務会長の仲介で6月21日に実現した。ロッキード事件の真相究明は三木内閣の手で行う、この点は椎名も世論の動向を見て了承せざるを得なかった。三木首相に今すぐ辞めろと迫ることはロッキード隠しになりかねなかった。椎名は51年末に任期満了を迎える総選挙は新政権で臨むことが党内の大勢であると主張し、三木に大勢に従うよう迫った。しかし、自分の手で解散するチャンスをうかがっていた三木は進退への言及をかたくなに拒否した。

1976年(昭和51年)2月6日
国会でロッキード事件の追及始まる、三木首相が徹底究明強調
同年2月24日
三木首相、フォード米大統領に親書、ロッキード事件の資料提供求める
同年4月10日
検察当局、米国資料を受領
同年5月7日
椎名副総裁、田中前首相と会談、9日大平蔵相、10日福田副総理と相次いで会談、三木首相の早期退陣要求で一致
同年5月13日
三木首相「責任を放棄しない」と退陣要求拒否
同年6月21日
灘尾総務会長の仲介で三木・椎名会談、三木首相、総選挙前の退陣要求に応じず
同年7月27日
検察当局、田中前首相をロッキード事件で逮捕
同年12月
福田内閣発足に伴い、椎名自民党副総裁退任
1978年(昭和53年)10月
後援会幹部に政界引退伝える
1979年(昭和54年)9月
死去、81歳

灘尾総務会長の仲裁案はロッキード事件の解明と次期臨時国会は現体制で行い、「次期総選挙は強力体制を期す」というものであった。椎名は三木の粘り腰に負けてこの玉虫色の調停案を受け入れざるをえなかった。強力体制とは首相交代を含みとしていたが、人事の一新とも受け取れ、必ずしも三木の退陣を意味するものではなかった。こうして椎名主導の第1次「三木降ろし」は不発に終わった。三木降ろし失敗で椎名副総裁の政治的影響力は急速に低下した。

昭和51年7月27日、東京地検特捜部はロッキード事件に絡み、田中角栄を外為法違反容疑で逮捕した。捜査の手がいきなり政界の中枢に入り、自民党に言いしれぬ衝撃が走った。田中派はなりふり構わず三木降ろしに突進した。大平派、福田派、椎名派、船田派、水田派を糾合して8月19日、「挙党体制確立協議会」(挙党協)を結成し、代表世話人に船田中と保利茂を選出した。第2次「三木降ろし」である。三木降ろしの主導権は椎名から保利へ移った。

三木首相は挙党協によって解散権は封じ込められたが、退陣要求は頑強に突っぱねた。同年末の任期満了選挙まで政権を維持し、選挙後に自民党敗北の責任を負って退陣した。後任の首相には保利の調整によって一本化されていた福田が就任し、大平が自民党幹事長になった。福田政権発足とともに椎名は4年半在任した副総裁の座を去った。副総裁を辞めると椎名は政治的影響力だけでなく、気力や体力も急速に衰えを見せるようになった。

椎名は老人性結核にかかっており、下半身は筋萎縮症に悩まされていた。田中角栄から政権を担当するよう勧められて、これを断ったのはこうした病気から体力面で最後まで自信が持てなかったからであった。昭和53年6月、椎名は長年住み慣れた東京・広尾の自宅を離れ、川崎市生田の新居に移って静かに世の移ろいを眺めていた。

郷里・水沢の後藤新平像の前に立つ晩年の椎名悦三郎(右から3人目)=「椎名悦三郎写真集」より

郷里・水沢の後藤新平像の前に立つ晩年の椎名悦三郎(右から3人目)=「椎名悦三郎写真集」より

同年10月、椎名は仙台市に椎名後援会の幹部を集め、次期総選挙には出馬せず、政界を引退する内意を伝えた。椎名後援会は後継者に次男の素夫を決定した。昭和54年6月、老人性結核と下半身の筋萎縮症の治療のため東京・信濃町の慶応病院に入院した。同年9月7日、大平首相は衆議院を解散した。総選挙の最中の9月30日、椎名は永眠した。81歳だった。

「省事」(事を省く)「不如省事」(事を省くに如かず)――椎名悦三郎が座右の銘にしていた言葉である。物事を処理するには、些細で煩雑なことは切り捨てて本質的なものを簡単明快につかむのがよい、本質でない小さなものに心を奪われると目がくらんで大切なものを逃してしまうという趣旨である。椎名は自ら「怠け者」「無精者」と称していた。しかし、死後に残された日記類や自らの思索の跡をまとめたメモ類を見ると、茫洋(ぼうよう)、飄逸(ひょういつ)とした人柄の椎名に几帳面で緻密な一面があったことがよくわかる。=敬称略

(終わり)

 主な参考文献
 「記録椎名悦三郎(上下巻)」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 椎名悦三郎著「私の履歴書」(私の履歴書第41集収載=70年日本経済新聞社)
 「現代史を創る人びと4(椎名悦三郎インタビュー収載)」(72年毎日新聞社)
 「椎名悦三郎写真集」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 藤田義郎著「椎名裁定」(79年サンケイ出版)

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