2019年8月18日(日)

政客列伝 椎名悦三郎(1898~1979)

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ロッキード事件、三木降ろし失敗 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(7)
政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

(2/3ページ)
2012/9/16 7:00
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■田中、大平、福田と相次ぎ極秘会談

2月6日の衆議院予算委員会で野党はロッキード事件の追及を開始し、三木首相は「日本の政治の名誉を賭けても真相を究明する」と言明した。政局はロッキード事件一色になり、真相究明を求める世論は怒とうのように高まった。田中角栄前首相と「刎頸(ふんけい)の友」である小佐野賢治国際興業社主の名前が出たことで事件と田中の関連性が取りざたされ、児玉誉士夫との関係で自民党の中曽根康弘幹事長にも疑惑の目が向けられるなど、政界は疑心暗鬼に陥った。

2月24日、三木首相は米国にロッキード事件に関する資料提供を求めるフォード大統領宛の親書を送った。事件究明への断固たる姿勢を示したものだが、椎名はこうした三木の態度を「はしゃいでいる」と批判した。真相究明は検察に任せればいいのであって、政治家が先頭に立ってやることではないという立場である。国会では連日のように事件関係者に対する証人喚問が行われた。

3月12日、フォード大統領の返書が届き、米国は非公開、捜査限定という条件付きで資料提供に応じると回答してきた。三木首相は米国の条件を受諾し、4月10日、検察当局は米国資料を入手した。灰色高官の公表問題で審議が空転していた国会は4月21日、与野党の妥協が成立して正常化し、昭和51年度予算にもようやく成立にメドが立った。5月に入ると検察当局のロッキード事件捜査はようやく核心に入りつつあった。

こうした矢先の5月13日、椎名副総裁が田中前首相、福田赳夫副総理、大平正芳蔵相と相次いで会談し、三木首相の退陣を求めることで一致したと読売新聞が報道し、世間を驚かせた。椎名は7日に田中、9日に大平、10日に福田と会談していた。第1次「三木降ろし」の幕開けである。三木首相は直ちに反撃した。同日の日経連大会のあいさつで「この難局処理は、40年間ひたすら議会制民主主義にささげてきた私の政治生活の総決算だと覚悟している。中途半端に、私の使命と責任を放棄することは絶対にない」と強調して退陣要求を一蹴した。

■世論の厳しい批判浴びた三木降ろし

灘尾総務会長(左)の仲介で実現した三木首相(中央)と椎名副総裁の会談=毎日新聞社提供

灘尾総務会長(左)の仲介で実現した三木首相(中央)と椎名副総裁の会談=毎日新聞社提供

椎名主導の三木降ろしは「ロッキード隠し」と受け止められて世論の激しい批判と攻撃にさらされた。福田と大平は世論の批判を恐れて椎名との会談の事実さえなかなか認めようとしなかった。椎名の行動を非難する声が自民党本部や椎名事務所に殺到した。広尾の私邸には脅迫状が届き、右翼の街宣車まで押しかけてきた。逆に三木首相のもとには「三木降ろしに負けるな」「ロッキード隠しを許すな」という激励の声が押し寄せた。

ハラが据わっているはずの椎名も世論の激しい反発にうろたえた。ロッキード事件捜査の真っ最中に渦中の人物である田中と会談して三木降ろしで合意したのはロッキード隠しと受け取られても仕方がない行動だった。「三木には惻隠(そくいん)の情がない」という椎名の言葉も田中をかばっているような印象を与えた。三木退陣をめぐって真っ二つになった党内を収拾するため、三木首相は「椎名副総裁と会いたい」との意向を伝えてきた。椎名は一連の会談で田中、大平だけでなく、福田も総選挙前の首相交代を強く望んでいたことを踏まえ、こうした党内の大勢を背景に三木と会って首相退陣の道筋だけはつけたいと考えた。

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