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国会を去る最長老 84歳・草川氏が見た「自公15年」
引退議員に聞く

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2013/7/14 3:30
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 今回の参院選に立候補せず、28日の任期満了で政界を引退する議員が28人いる。衆参両院を通じて最年長、84歳の草川昭三・公明党副代表もその一人だ。公明党が自民党との連立政権樹立に踏み切ったのが1999年。その素地となったのは前年の金融国会だ。当時、草川氏は国会対策委員長として自民党との連携に道筋をつけ、その後も長く自公両党の「潤滑油」役を果たした。衆院8期、参院2期に及ぶ議員生活と、15年間の自公連携を振り返ってもらった。

■非学会員として初の議員に

草川昭三氏

草川昭三氏

――政治家になる前は造船所で溶接工として働き、労組活動に参加していました。

「旧制の工業学校を卒業したのが1945年の終戦の年。みんな栄養失調、飢餓状態という時代だった。職もなく歩いていたら名古屋造船(現・IHI)の看板に『白米一合二尺支給』と書いてある。『ご飯が出るんだ。よし、この会社に入るぞ』と、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、白米にひかれて造船所に入った」

「当時の造船所は労働が本当に厳しく、中型の貨物船を1隻つくるのに1~2人の死亡事故があった。その時にちょうど共産党系の労働組合ができて青空団体交渉というのをやっていた。屋外で、我々の見ている前で労組の幹部が『社長は労働者を搾取するのか』と会社をやっつけるわけだ。労組はすごい、と思っていたら50年にレッドパージがあって共産党系幹部が誰もいなくなった。そこで青年で威勢のいい私たちが肩代わりしていく」

――そこから政治に入っていくわけですね。

「組合運動だけでは労働条件の改善には限界がある。年金や健康保険、税金といった問題には政治行動が必要と分かり、政治に関心が向いた。当時は日本社会党が非常に強い時代で、私も社会党に入党した」

――公明党との関係は。

「公明党側が声をかけてきた。当時は社会、民社両党との社公民で政権をめざしていた時代。『創価学会員だけの党では幅が狭い。とくに労働界から人材を投入したい』という話だった。それで旧愛知2区から出ることになる。公明党だけでは票が足りないので、私が無所属のまま推薦を受け、労働界の票と合わせて76年に初当選した。公明党では学会員以外で初の国会議員として注目された。17年間は入党せず、無所属のまま公明党・国民会議という院内会派を組んでいた」

――野党議員として厳しい追及で名を上げます。

「最初は社会労働委員会、その後は花形の予算委員会でずっと活動させてもらった。今でこそ薬価差益問題は指摘されなくなったが、90年代から『差益をなくそう、後発医薬品(ジェネリック)を高く評価すべきだ』と取り上げてきた」

――豊田商事事件も国会質問から社会問題になりました。

「大きな問題になるまで1年ぐらいかかった。悪徳商法の相談が地元の事務所に来たのが始まり。国会で質問をして問題になると雪だるま式に情報が入ってくる。被害者だけでなく、豊田商事の社員からも、生のネタ、データがいっぱい集まってくる」

「当時は新聞や週刊誌のネタで質問をしたことは一回もない。そういう質問は恥ずかしいと思っていた。私の質問を聞いて新聞社の社会部記者が来て翌日の朝刊で報道する。それを見た週刊誌が『ぜひわが社でも』と言って来る。それが野党議員としての私の国会質問の基本だった」

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